第4話 心ひとつに「松尾大社」

1/5
前へ
/122ページ
次へ

第4話 心ひとつに「松尾大社」

燃え尽き症候群。2年と少しぶりに、その言葉を思い出した。 大学受験が終わってから入学するまで、昼を過ぎても布団から出られず、何をするにも億劫だったあの頃、わたしはまさに灰となっていたのだろう。今のわたしには、その時に近い堕落感が薄皮のようにまとわりついていた。煮崩れしたじゃがいものような、自分の形が分からないあやふやな感じ。 もちろん大学にはちゃんと行っているし、カメラのシャッターだって切っている。だけど、なんとなく気が抜けている。 心当たりは一つ、ある。今のわたしには目標がない。フォトコンテストに応募するまでは確かにあった。カメラの本を熟読したり、さまざまな写真集を眺めたり。受験生のようにがむしゃらに、坂道を駆け上がっていく感覚があった。 去年は、自分で稼いだお金でカメラを買った。達成感と高揚感がマーブル模様のように混じって溶けた。青春映画の主人公のように、わたしも成長できると信じていた。 だけど、そう簡単にいかないところが、わたしがわたしたる所以なのだ。全速力で走り続けたら息切れがする。ゴールテープが切れなかったら、途端に進む方向が分からなくなる。入賞を逃してからのわたしはそんな感じだ。その結果、燃え尽き症候群を発動している。 ひとまずは初心にかえって、何も考えずにカメラを楽しもう。そう思ってはいるものの、ただ写真を撮っているだけでは、停滞感がのっそりとつきまとう。一歩も前に進んでいないような気がして、楽しもうにも楽しめない。   何か、ヒントはないだろうか。そう思って、今まで撮った写真を見返してみた。金福寺や貴船神社、源光庵に城南宮。それほど時間は経っていないのに、どこもかしこもアルバムをめくる時のような懐かしさがあった。あの時はハートのあじさいを見つけたっけ、八木邸の刀傷には興奮したなぁ。そんなことを思いながら眺めていると、ところどころ記憶が抜け落ちていることに気がついた。どんなことを考えてこの構図にしたのか、どんな音が聞こえていたのか。パズルのピースが数個足りない。思い出が、完成しない。 どれだけ忘れたくないと願っても、すべてを覚えていることはできない。記憶はどんどん塗り替えられていく。太陽の眩しさだって、川のせせらぎだって、写真には写らない。写真に写らないことを、いつまで覚えていられるだろう。 パソコンの隣には、カメラがあった。最近、これがないと生きていけないんじゃないか、と本気で思う。平凡なわたしに色をつけるもの。わたしという人間を説明する時に、初めに出てくるもの。これがあれば繋がれる。繋がって、いられる。 カメラにはきつねのストラップがついている。1回生の時、間崎教授にもらったものだ。こん様と名づけた。名づけることで、生命を与えられる気がした。生命を持ったのなら、当然話すことだってできる。 (何を悩んでいるんですか、考えるよりまず行動ですよ) ほら、しゃべった。こん様の言う通り、うだうだ悩むのはわたしには似合わない。立ち上がり、伸びをする。戦闘準備はもうできた。
/122ページ

最初のコメントを投稿しよう!

36人が本棚に入れています
本棚に追加