第4話 心ひとつに「松尾大社」

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帰宅する前に、河原町にある丸善に行ってみた。梶井基次郎の小説「檸檬」にも出てきた有名な本屋だ。何を見るでもなくぶらぶらしていたら、ふと文具コーナーにある手帳が目に入った。洋書風のシックな表紙で、中を開くと罫線だけがあるシンプルなデザインだった。 そういえば、以前教授も誰かに手紙を書いていた。知恩寺の手作り市に行った日だったから、確か1回生の秋だった。もみじ柄のかわいらしい封筒が意外だったので、やけに印象に残っていた。 記憶に引っ張られるように、手帳をレジに持っていった。デザインが気に入ったから、というだけではなく、買ったら何か変わるかも、なんて思いもあった。 家に帰って写真の整理をしたあと、手帳を机の上に広げてみた。文章を書くのは得意ではない。日記だって続いたためしがないし、誰かに手紙を出す機会もない。そんなわたしでも、メモ程度のものなら続けられるかもしれない。そう思って、早速ペンを手に取った。 『山吹がきれいだった』 いや、それは写真を見たら分かる。写真に写らないことを書き残さなければ。うんうんと唸りながら筆を走らせる。 『境内が広かった』 『亀の井の水が冷たかった』 『風に揺れる葉がカサカサと音を立てていた』 どうやら、わたしには文才がないらしい。まぁ、誰に見せるわけでもないし、いいか。短く息を吐き、ペンを置いて天井を仰いだ。これが写真技術の向上に繋がるかは分からないけれど、10年後も記憶が色褪せないように、少しずつ習慣にしていけたらいい。 手帳を閉じ、今度は教授宛てにメールを書くことにした。 『今日は松尾大社に行ってきました。山吹がきれいだったので送ります』 いつものように短い文を書いて、写真のデータを添える。送信ボタンを押す前に、もう少しだけ、キーボードの上に指を滑らせた。 『間崎教授と』 途中まで打って、全部、消した。何を伝えようとしたのか、何を書きたかったのか、自分でもよく分からない。結局いつも通り何の装飾もない言葉だけ打って、メールを送信した。文章って、伝えるって、難しい。そう思いながら、パソコンを閉じた。
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