第5話 花の都に「今宮神社」

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第5話 花の都に「今宮神社」

「この暁より、しはぶき病みにやはべらむ、頭いと痛くて苦しくはべれば、いと無礼にて聞ゆることなどのたまふ」 たどたどしい説明を聞きながら、配られたレジュメに書かれている文字を指でなぞる。古文はきらいではない。きらいではないけれど、大得意というわけでもない。大学生になったら、もっとすらすら読めるようになると思っていた。だけど受験が終わると古文単語はぽろぽろ忘れていくし、知らない言葉は増えるし、解説がないとさっぱり分からない。 「『しはぶき病み』は『咳き病み』と書き、風邪など咳の出る病気を指す言葉です。『はてはては御胸をいたうなやみたまへば』『御気あがりて、なほ悩ましうせさせたまふ』『御物の怪めきていたうわづらひたまへば』に見られるように、怪異、物の怪によるものも含め、源氏物語には病についての描写が数多くあります。また、若紫の段には光源氏が「瘧病(わらわやみ)」をわずらったという描写もあり……」 間崎教授が担当している国語学国文学演習では、学生が源氏物語の原文に釈文・語釈を施し、通釈を作成して発表しなければならない。単なる現代語訳ではなく、単語一つを細かく分析したり、自分が興味を持った箇所をとことん追究する必要がある。わたしの発表はまだまだ先だが、こんなに難解な内容をしっかり調べ上げなければいけないと思うと、今から気が重い。 教授は講義室の片隅で学生の作ったレジュメを真剣に見ている。よく調べたものだと感心しているのか、全然だめだとあきれているのか、表情からは何も読み取れない。 発表を終えると、学生は不安そうに間崎教授を見た。教授はなかなか口を開かない。こういうことはしばしばあるので、学生たちはみな固唾を呑んで教授の言葉を待っている。 数分後、教授は「あぶり餅が」と小さくつぶやいた。 「え? あぶり餅?」 発表していた学生が眉をひそめる。レジュメには「あぶり餅」という単語は一度も出てこない。周囲の反応に気づいたのか、教授は顔を上げるとしばし固まり、「……あぶり餅で有名な今宮神社ですが」と続けた。 「創建以来疫病退散の神とされ、人々の信仰を集めていたんですよ。『しはぶき病み』に着目したのはおもしろいですね。そのついでに、この時代の人々がどのように病を克服しようとしたか、どんな医療があったのかを調べてみるのもおすすめですよ」 周囲の学生はみな「なるほど」なんて納得したようにうなずいているが、なんとなく文脈がぎこちない。いつも流しそうめんのようにするすると話すのに、今のは少々むりがある。その後ぽつぽつとアドバイスをして、その日の発表は終了した。
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