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──時間は数日ほど前に遡る。
プシューと空気が抜けるような音がした。
続いて目の前のドアが分かたれ、ガラリと左右に開く。
井鶴蒼伊が列車を降りると、そこには風情のある駅の風景が広がっていた。
どこか情緒をくすぐられる。
所々に色の濃い原木をそのまま使ったような柱や梁があり、何とも言えない味わいを滲ませている。
「着いたぁー!」と弾けるような声がした。
途端に感慨が吹き飛んだ。おいおいと気が抜けたように振り返る。
背後では幼馴染である兎村六夏が人目も憚らず、思いっきり伸びをしていた。そのまま重力に任せて腕を下ろし、その反動でピンクアッシュのポニーテールがユラユラ揺れた。
六夏な背後から、セピア色の髪がチラ見えした。
「ちょ六夏、そこで止まるなって」
その後ろから出てくるなり、犬飼桐助はそう声を投げかけた。
彼とは小学生からの付き合いだが、校則違反手前のふんわりとした髪型は昔から変わっていない。
「あ、ごめんごめん」
軽快に謝り、六夏はトタタとこちらに駆け寄ってきた。肩に背負ったお馴染みのトートバッグと、背中のパンパンに膨らんだリュックサックが重そうに見える。
視線を列車に戻せば、桐助に続いてもう一人少女が列車から降りてきた。
生ぬるい風が彼女の紺色の髪やビビットグリーンのカーディガンを控えめにはためかせる。
……どうにも彼女には前向きな感情を抱けない。
海亀十琉。通称トール。
中性的な名前の小柄な少女は、くわと欠伸をして目をこすった。
その所作から列車の中は退屈だったんだろうなと容易に想像できる。もしくは揶揄える相手が近くにいなかったのかもしれない。
蒼伊は内心ほくそ笑んだ。
退屈で大いに結構だ。何も起きないに越したことはないのだから。
列車を降りた一行はそのまま改札を出た。
視界に入った壁の時計は、お昼前の時間を指していた。
「よし、じゃあまず昼飯行くか!」
桐助が喜色を浮かべて言った。
二泊三日の旅行道程。
目的地の到着にはまだ少し早い。
その宿泊先の旅館である『山瑚荘』はこの駅からさらにバスで三十分ほどかかる位置にある。
そこまで行くと周りに飲食店がないようで、その前に腹ごなしをしておこうという魂胆だった。
「おーいいね。何食べるんだっけ?」と六夏。
「このへんはジビエ料理が有名らしい」
桐助はそう言いつつスマホを操作する。「あー、電波悪いな。まぁ山ン中だから仕方ないか」
少し経って一覧が表示されたのか、桐助はいくつか候補のお店を挙げてみせた。
「ジビエねぇ。悪くないじゃない」
桐助の隣からスマホを覗き込んだトールが、満更でもなさそうに言った。
「……お前、ジビエなんて食えるの?」
蒼伊はつい横から口出しをした。
海亀がジビエなんて食えるのだろうか、という素朴な疑問だ。
これは何も揶揄ではない。彼女トールは正真正銘海亀──海洋生物なのだ。しかも天邪鬼で人でなしと性格もなかなかにひどい。
いまは化身しているらしいが、それは蒼伊だけの知る真実であった。
「おっと甘く見ないでよ井鶴くん。これでも健啖家なんだよ?」
トールが意味ありげな視線をよこしてきた。
「健啖家?」と桐助が訊く。
「好き嫌いなく、何でもたくさん食べる人のこと」
何故か自慢げに言うトールである。
亀は雑食であったか。いや、それでもジビエは食べんだろうと、蒼伊は心のうちに自問自答した。
「そんなに華奢なのに? 意外だなぁ」と桐助。
「ふふ。人を見た目で判断してはいけない、いい教訓でしょ?」トールが軽薄な口調で言った。
お前が言うかと、蒼伊は内心ため息をついた。
確かに見た目で判断していけない。
トールはその腹に一体どんなどす黒い思惑をため込んでいるのか、知れたものじゃない。
それにしても、と蒼伊はトールを盗み見て思う。
最初こそ猫かぶっていたトールだが、だんだん桐助や六夏にも気を許しているのか、言葉の端々や態度に少しずつ本性がにじみ出てきている気がする。
初々しく控えめな女子学生の言動はどこに行ったのか。
本来の男の子っぽくどこか芝居がかった性格までは隠しきれないのかもしれない。
これでは本性が詳らかになるのも、そう遠くないだろう。
果たしてそれはいいのか悪いのか、自分でもよく分からないのが正直なところだった。
「井鶴くん、さっきから何か言いたげだね?」
トールから流し目を向けられた。
「……何でもない」
蒼伊は視線を逸らして顔を押さえた。
トールが鋭いのか、自分の顔に分かりやすく苦言が浮かんでいるのか、果たしてどっちだろう。
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