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「……そーいえばさ、十三時って言ったの井鶴くんじゃなかったっけ?」
そう言ったのはトールだった。
思い出したような口調で暴露した彼女に、一同の視線が集まった。
そしてその流れのまま、視線は全てこちらに注がれた。
「そういえばそうだったな」と桐助が同意した。
「だよね」と六夏も頷く。
やはり気づいていたらしい。
ふっとトールの顔に憎たらしい笑みが浮かんだ。
トールの奴、と蒼伊は内心で舌打ちする。
たしかに、昼過ぎに到着するように仕向けたのは何を隠そう蒼伊自身だ。チェックインが十五時からなんてことは初めから知っていた。
理由はもちろんある。利己的な理由ではあるが、譲れない事情もある。
しかしまた誤魔化しの難しいタイミングで振られたものだ。
さてどう躱そうかと思い悩んでいると、妙な空気を感じ取ったのか「まぁまぁ」と桐助が介入した。
「間違えたんだろ。ほら、十三時と昼の三時って似てるし、勘違いしたんじゃないか?」
「……」
蒼伊は何度か目を瞬いた。
それはちょっと間抜けでは?
しかし他にうまい方便も思いつかない。
……もういいや、それで。
蒼伊はより良い弁解を諦め、桐助の生暖かいフォローに乗ることにした。「えっと。なんかごめん」と、とりあえず謝っておく。
「早めにお部屋を用意できればよかったのですが」柴石は残念そうに続ける。
「お恥ずかしい話、スタッフの人手の問題もありまして、すぐにご案内することが難しく……」
どうも気を遣わせてしまったらしい。
ちょっとした罪悪感に「お気遣いいただいてすみません」と思わず蒼伊も謝罪を返していた。
「もう、蒼伊ちゃんったらしょうがないなぁ」
六夏はそう言うと「じゃあ時間まで近場の探索でもする?」と話題を切り替えた。
これ以上の追求はやめてくれるらしい。
「時間までお待ちいただくのも退屈でしょう」
そう言うと、柴石はすかさずペラ紙を何枚か取り出した。
「当旅館はさまざまな企画をご用意させて頂いております。もしよろしければ先に楽しまれてはいかがでしょう」
「企画?」心持ち嬉しそうな声で桐助が訊いた。
「ええ」と頷いて柴石が見せてくれたのは、バードウォッチングやキノコ狩り等、周辺のレジャー体験を推したチラシだった。
いずれも山瑚荘のロゴが入っている。どうやら旅館オリジナルのものらしい。
「このあたりは自然も豊かで様々な機会に恵まれているんです。鳥を遠くから愛でて癒されるのもいいものですし、もしキノコを取ってこられましたら、選別できるスタッフもいるので、夜のバーベキューでお楽しみいただけますよ」
「バーベキュー! わぁ楽しみ」
六夏が嬉しそうに言った。
「オーナー、これは?」とトールが一枚のチラシを摘みあげ、まじまじと見ていた。
位置的にちょうどよかったため、蒼伊も背後から覗き込む。
そのチラシは他のポップな印象とは明らかに毛色が異なっていた。何だかおどろおどろしく、物騒な言葉が点在している。
「そちらは一種の謎解き企画になります」と柴石が丁寧に答えてくれた。
「謎解き? 旅館内で?」
不思議そうにトールが視線を上げた。
「ええ、そうなんです。シナリオも少しばかりこだわっていましてね。その道のプロに作ってもらっているんです。こちらだけはチェックインされた後の話になりますが、興味がありましたら是非挑戦してみてください」
「ふぅん」とトールは短く唸った。興味があるのかないのか、よく分からない反応だった。
どちらかと言うと、桐助や六夏好みかもしれない。
その後、出かけるなら荷物をフロントで預かってくれるとのことだったため、ありがたく柴石の提案を受けることにした。衣類などの入ったリュックを預け、おなじみのショルダーバッグだけになる。
ついでに夕食調達用として、竹製の盆ザルを二つほど用意してくれた。
そちらは六夏が持つことになった。
「いろいろありがとうございます」
蒼伊がお礼を言うと
「喜んでいただけて光栄です」と、柴石は朗らかな笑みを浮かべた。
「わたくし支配人であると同時にエンターテイナーも兼ねておりますので。では皆さま、いってらっしゃいませ」
丁寧に見送ってくれた柴石に会釈し、蒼伊たちは一度山瑚荘を後にすることにした。
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