増殖

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6e2aed16-1c6a-4151-a901-24901eaa1ae5 胸に手を当てた。 トクトクと生きている証を刻んでいる。 しばらくその感触を確かめていた隆は 急に何かを思い出した気がした。 公園のベンチで座る老人。 もう少しで何かを思い出せる気がした。 老人だと思っていたが、もしかしたら老婆だったかもしれない。 そう思いを巡らしていると、いや、少年だったともう一人の自分が言った。 波のように近づいては遠ざかる思考に()まれながら、隆は寝返りを打った。 目覚まし時計の蛍光塗料が3:00を示していた。 隣には敬子が寝ているはずだ。 しかしその気配は感じられず、隆は真っ暗な宙にぽっかりと浮いて、デジタルの数字がひとつずつ数を刻んでいくのを眺めていた。 数字が進む。 隆の心臓の音と刻まれる数字がシンクロし、 隆はまた公園へと戻っていた。 --- ベンチに座る老人。 そうだ、彼の話の途中だったのだ。 隆は()を進めようとした。 しかし足は大地へと貼り付き、一歩が踏み出せない。 隆はもがきながら老人を見た。 小刻みに老人が揺れる。 嫌な汗が隆の額に(にじ)み出す。 辺りを夕暮れが真っ赤に染めながら、 老人の揺れは徐々に激しくなっていった。 真っ赤な滑り台を少年が奇声を上げながら滑り降りる。 下では砂場がドロリとした沼に変わり、(うごめ)く蟲達がワサワサと盛り上がってはあぶくを吐いた。 少年は長い滑り台を滑り落ちながら、嬉々と声を上げて笑っている。 ダメだ、行っちゃダメだ 隆は声にならない声を上げ、老人に救いを求めて振り返った。 ヨレた中折れ帽の顔をゆっくり上げた老人は(うつ)ろな目で、ぶつぶつと物語の続きを語り出す。 遂にたどり着いたのだよ。私は。 そのガーベラの小屋のドアを開けたんだ。 ぎぎぎ、と音がしたよ。 ドアノブはトロトロと溶け始めるから焦ったんだ。 中から肉を煮るいい香りが漂ってきてね。。。 隆の脳髄(のうずい)に老人の物語と少年の甲高い笑い声がこだまして、頭を押さえた。 ブランコが揺れる。 老人はまた体を揺らし、物語を続ける。 沼はいつの間にか隆の足元まで広がって、水際の蟲達が小さな歯をキーキー言わせなら、隆のズボンの裾に噛み付いた。 小屋の中の少女が招き入れてくれてね、 僕は木の匙を取るとスープをひと口飲むんだよ。 肉はかたくてね、歯と歯の間に(ひね)り込んできて ()い回るんだよ。 いい匂いだったはずのスープはね、 生臭くてね、 それでも食べることをやめることができないんだ。 少女がおかわりを持ってくるんだ。 僕はその少女を。。。 少年は滑り落ちながら、感極まって手すりに歯を立てて、ギリギリと音を立てた。 いつの間にか滑り台の上には沢山の子供達が集まり、少年の滑る姿に小躍りして歯を()き出して笑い合っている。 少年の歯は手すりに深い傷を刻みながら、少年の歯が欠け落ちる。 血の滴る顔を(ゆが)めて少年は笑い、その感情をどう表現すればよいか分からず頭を掻き(むし)った。 僕は少女を押し倒したんだよ。 口の中に挟まった肉片達が歯という歯の隙間で湧いて蠢くんだ。 口の中に溢れる肉片がボタボタと少女の頬に落ちてね、少女はじっと僕の顔を見るんだ。 見ないでくれ! 見ないでくれっ! 隆は暖炉の火に赤々と顔を火照らせ、 じっと隆を見つめる目に言った。 パチパチと弾ける暖炉の(まき)の音が 隆の脳髄を凶暴にした。 違うんだ こんなはずじゃなかったんだ。 隆は泣きじゃくりながら、少女の胸へと顔を埋めた。 少女が優しく隆の髪を撫でる。 静寂 隆は少女の胸の中で数を数えた。 暗闇の中、デジタルの数字が数を刻む。 25 24 23 22。。。 12 11 10 9。。。 隆は締め付けられる頭をぐっと伸ばした。 体という体にヒダがまとわりつき、丸まっていた隆の体を伸ばしてゆく。 背骨が(きし)む。 そのヒダの蠢きによって隆はゆっくりと回転しながら進んだ。 5 4 3 2 1 。。。 突然閃光(せんこう)が隆を包んだ。 真っ白な世界。 微かに泣き声が聞こえる。 暖かい何かに抱かれて、隆は声を上げて泣いた。 その温もりは遠い昔に、 そうだ。僕は知っている。 隆は思った。 懐かしい匂い。 懐かしい感触。 滑らかな胸に体をうずめ、 隆は親指をしゃぶって眠りについた。 笑い声に包まれる。 隆はゆっくりゆっくりと隆に戻ってゆく。 ---おしまい---
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