汚い世界

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 それから母は精神を病んで、暫くして入院を余儀なくされた。  客の一人が母の様子がおかしいと、ブローカーへ苦情を入れたからだった。  環は相変わらずあの部屋に住んでいた。  ブローカーが気を回してくれたおかげもあるが、環はあの頃の日常に戻りたかったのだ。 《お母さん、世界はみんな汚いんでしょう?》 《だったら、俺も汚くなりたかった》 《みんなと同じになって、お母さんと一緒にいたかった》  環の願いも叶わず、明子は環が高校生になった時に死んだ。  自殺だった。  棺の中で眠る母は綺麗な顔をしていた。  でも、一見綺麗に見えるこれは汚いもので。  そして、環もまた綺麗に見える汚いものだった。  嬉しかった。  仕事仲間数人でしめやかに葬儀を行なって、一週間あまり。  呆然と部屋で母の遺骨を眺めていた環を、訪ねる人があった。 「君が、環くん……?」  明子の姉を名乗るその人物は、環を抱きしめて涙を流した。  そして環は、智也の両親に引き取られ、世界で一番綺麗な、智也に出会った。  母の世界で環だけが綺麗だったように。  環が見る世界で、唯一、智也だけが綺麗だったから。  環が触ったら汚れてしまうのだろう。  かつての綺麗だった環が、汚れてしまったように。  綺麗な智也を、汚したくない。  だから、智也も、環に触れようとしないで。  環は智也が教室に置いて行った鞄を下げて、重い足取りで帰宅した。  玄関に智也の靴が几帳面に揃えてある。  ほっとして環は洗面所に入った。  手を洗って、服を脱いで。  いつものように浴室に足を踏み入れて。 「……いたい」  強めのシャワーは、痣になった腹の傷に鈍い刺激を与えた。  ボディーソープを泡立てる。  つま先から、足、腕、腹も、胸も背中も、気になったところは全て洗った。 「きたない、なあ。俺」  環は初めて自分の汚い体を、本当に汚いと思った。
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