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なんとなく、気まずい。
夕食を食べ終わって皿洗う智也は、自らの手の中の泡を見つめて小さくため息を吐いた。
水を溜めた桶の中で食器がぶつかり、からからと音を立てる。
環はリビングで洗濯物を畳んでおり、その鼻歌が台所まで聞こえてきた。
楽しそうな様子に、智也の心がほのぼのとした感情を抱くが、教室での出来事が邪魔をして洗い物には全然集中出来ない。
無理やりに洗剤をスポンジに追加して、わしゃわしゃと泡を立てる。
水洗いした皿を桶から引き上げて、ぐいっとその円周をスポンジで擦った。
油汚れなら、これで落ちるのに。
智也の心の中の澱は、なかなか落ちなかった。
綺麗に、しないと。
強迫観念にも似た感情がぞわりと背筋を這い上がる。
皿を洗っても洗っても、綺麗になっている気がしない。
何度も濯いで、スポンジで洗って、拭いて。
「ともくん」
「……っ」
背後からかけられた声に肩が跳ねる。
蛇口から流れ続ける水量は、皿洗いの域を越えていた。
「お皿、綺麗に洗ってくれてありがとう〜」
「……ああ」
環が手を伸ばして、蛇口の線を緩やかに閉める。
「後は俺が濯いで片付けておくね。頑張り屋さんの智くんはソファに座ってて〜」
環に促されて、ふらふらと智也はソファに沈み込んだ。
ソファの端に、智也と環で綺麗に山が分けられた洗濯物が置かれている。
智也はそれを掴んで、自分の部屋の箪笥へと几帳面に詰めた。
綺麗にしまって仕舞えば良い。
自分が妄想で汚した環を。
そして、その感情を。
リビングに戻ると、皿洗いを終えた環が、向かいのソファに座って智也を待っていた。
「智くん、何か、悩んでるの?」
智也がソファに座るのを待って声をかけてきた環が、殊更ゆっくりと言葉を紡ぐ。
目元の黒子に視線が行ってしまい、息が詰まって思わず下を向く。
しかし、智也は持ち直した。
あの感情はしまったから。だから大丈夫だ。
「環、まだ寂しいか?」
「え?」
智也の問いが想定外だったのか、環が戸惑いの表情を浮かべて智也を見やる。
その真意を計りかねている環は、智也の次の問いを待った。
「……寂しいから、いろんな女とセックスするのか?」
智也は肯定を望んでいた。
答えが欲しかったのだ。
明確で、正解のある。答えが。
寂しいのなら、俺が寄り添える。
家族が恋しいなら、与えられる。
だから、智也は、環の口から出た答えに、呆然と取り残されることになった。
「寂しい? 智くんがいるから寂しくないよ?」
環は、しごく不思議そうな顔で智也を見ていた。
「大人になったらみんなセックスするでしょ? 子供を作るのにもセックスするじゃん。だったら、俺だってシたいし、シていいじゃん」
「そ、れは……」
「智くんはシたいって思うことないの? オナニーだってするでしょ?」
昼間の妄想が顔を出して智也は顔色を悪くした。
智也にだって性欲はある。
それを環に指摘されて、智也は居た堪れずに拳を握った。
「じゃあ、なんで俺はいけないの?」
智也は否定する言葉を持たなかった。
心底不思議そうな目だ。
「学校にいる男も、みんな女の子とヤりたいって言ってる。女の子だって、俺にヤろうって声かけてくる。みんな汚いし、セックスするなんて、そんなもんでしょ?」
あまりの純粋さに、智也は怯んだ。
「俺は普通だよ。何か変なの?」
「……セックス、好きなのか」
「好きじゃないよ? でもみんなシてるじゃん」
智也は何も言えなかった。
好きでもないのに、女を抱くのか?
なぜ?
自分が間違っている。そう思わざるを得ない環との問答に、智也は自分こそが汚いものなのではないか、と冷や汗をかいた。
「智くんは、潔癖だから他の人よりも俺の汚さに敏感なんだと思うけど」
環はソファの表面を手で撫でてから、智也の目を覗き込んだ。
「それなのに、俺が家具とか触っても気にしないんだね」
「環のことを……汚いとは思ってない」
それは本心だった。
智也は不特定多数との行為自体を、不誠実なものと思ってはいるが、セックスする人間自体を、環自身を汚いと思ったことはなかった。
「何言ってんの? 俺は汚いよ。智くんって変なの」
環はそれだけ言い残してリビングを出て行った。
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