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「あの子を、教育していただきたいのだ」
幸家当主、藍雀と相対して座る縁柳筌は、彼から悩ましげにそう告げられた。
「13歳までに術を使えるようにならなければ、一生使いこなせないと言われているが、あの子は10歳になった今でも、まだ習得していないのだ。早い者で5歳のうちに、私も7歳の時にはすでに軽気術は使いこなせていた」
幸藍雀は、膝の上で両手を揉む。
「私には息子があれしかいない。だから、少しでも早く、なんとしてでも術を習得し、跡を継いでもらわなくてはならないのだ」
幸藍雀は、目の前の青年を不安げに見上げた。縁柳筌は涼やかに、彼の言葉を聞いている。
「──色々、試してみたのだ。君の前に2人、教育を得意とする老師をつけたのだが、習得には至らなかった。縁家の者から君の推薦を受けて、最後の頼みの綱と思い、来ていただいたわけだが──」
縁柳筌は黙って先を促す。
「君は随分と若いようだが、歳を訊いても?」
「今年18になりました」
「祖父がうちの出身で、幸家の術も使えるときいたが」
「ええ。多少の心得はあります。術が使えない師弟妹の手解きをしたこともあります。使い方は違えど、体内に巡る「気」を利用することは、幸家、縁家、真家ともに同じですから、他家の私でも力になれることはあるかと思います。「気」の使い方さえ掴めれば、すぐに習得できるでしょう」
「うん、寝所や食事はこちらで用意するから、息子に付き添って、君の言う「手解き」をしてやってほしい」
「仰せ受かりました」
***
「というわけで、これからしばらくはあなたとともに過ごし、仙術の基本を教えていきますので、どうぞよろしくお願いします」
与えられた小さな個室で荷解きをしていた縁柳筌は、新しい家庭教師を偵察にきた幸櫂鶹を部屋に招き入れ、そう説明した。
「無理だよ」
櫂鶹は突っぱねるように言った。
「何がです?」
「僕は出来損ないだから、何を教えたって無理だよ。術なんて使えやしない」
今まで、何度も挫折をしたのだろう。諦めたように言う櫂鶹に、柳筌は優しく問いかける。
「何故無理だと思うのです?」
「できないから」
「何故できないのです?」
「できないからできないんだよ!」
「では何故できないのかを一緒に考えましょう。何が原因なのか、ご自身でわかっていますか?」
反発するように言っても、態度を変えずに柔らかく受け答えする柳筌に、櫂鶹は少したじろぐ。
「……知らない」
「では、「気」というものがなんなのかはご存知ですか?」
「知らない。前の老師は、臍の下にあるって言ってたけど」
「ええ、その通りです。「気」というもの自体は、この世界あらゆるところに溢れています。森の中にも、この屋敷の中にも」
柳筌は櫂鶹に近づくと、その肩に手を置いた。
「そして、あなたの体にも。それは巡っています。ですから、その流れを感じることができれば、あなたにも術が使えるようになりますよ」
「……どうやって?」
櫂鶹が尋ねると、柳筌は羽織っていた上着の前を解いた。
「気を巡らせ感じるには、呼吸を使います。このように」
柳筌は基本の姿勢を取ると、櫂鶹にわかりやすいように呼吸をして示した。
「それからこの辺りの筋肉を使います。力入れすぎずに、正しい姿勢のまま……触ってみてください」
柳筌に言われ、下腹部に恐る恐る触った櫂鶹が声を上げる。
「熱い」
「ええ、気が溜まっている証拠です。……そして、この流れを使って……」
柳筌が宙を押すように手のひらを前に突き出すと、サイドテーブルの上の本が押されたように動いた。櫂鶹はそれをもどかしそうに見つめる。
「そう難しいことをするわけではないのです。コツを掴めば、できるようになりますよ。例えば……」
そう言いながら、彼は書き物机の上にあった紙束を掴み上げると、その前で手を振った。
すると、上部がすぅと一文字に切れ、はらはらと床へと落ちた。
「このようなことだってできます。瓶の口を切ったり、ガラスに触れずに割ることも」
それらをみていた櫂鶹は、家庭教師を真似て、机の上に向かって手を突き出す。
しかし、何も起こらない。
躍起になって手を動かす櫂鶹に、柳筌は優しく手を添えて、宥めるように姿勢を直す。
「重心が定まっていない。もっと低く、体の中に重い石があって、地面に引っ張られているかのように、ぐっと気を下に溜め込んで……」
背筋を修正し、くっと背中を押したその時だった。
サイドテーブルの上にあった本やライトが、押し出されるかのように、床上にばたばたとおちた。今まで全く手応えがなかったため、突然起きたことに櫂鶹は驚いた。
「う、動いた! 動いた!!」
瞳を輝かせる櫂鶹に、柳筌は目を細める。
「ええ。あなたにも素質はあるのです。
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