小さな恋人 For Happy Valentine’s Day

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 ライムと暮らし始めて半月も過ぎた頃。  未知の電話番号から電話がかかってきた。  僕は、何となく自信を持って電話に出た。  何の自信か。  もうライムは、僕を選ぶはずだという自信。  たとえ元の飼い主が、どんなに魅力的な人間だったとしても、今のライムは僕を選んでくれるのではないかという自信があった。    電話してきた男性は元飼い主かもしれないと不安そうに言った。声から察するに高齢の男性らしかった。 「2週間ほど前。雪が降った日の朝、窓を開けて外を見ていたらインコが飛び出してしまったんです。まだ若いから元気に遠くまで飛んで行ったのかもしれない。」  雪が降った日の朝、という日時はライムの現れた時間と適合する。  だが、電話をかけてきた男性の住所は僕のマンションから直線距離にして40キロ以上離れた町である。  家で飼われているインコに、どれほどの飛翔能力があるか理解していないが、さすがに、あの寒さの中を自力で40キロも移動できるものだろうか?  何かに入り込み車で移動した可能性はあるかもしれないが・・  その男性は、その日の夜、僕のマンションまで、もともとのインコの棲家であるを持って訪ねて来ることになった。  事務長に訳を話し、僕は早退して家に戻った。  ライムの好きなシャインマスカットとサラダ菜、客人のためのカステラを買って帰る。  家に帰ると、いつも通りライムをゲージから出し頬ずりしてから、マスカットを与える。  何となく落ち着かない僕は掃除機をかけ窓の内側のガラスを拭き、台所を磨き、自分もシャワーを浴び、お気に入りのジャズをかけながら客人のためのハーブティーを準備する。  夕方だから、ご高齢の方にコーヒーやお茶は相応しくないだろう。  身体を温めて、落ち着けるローズヒップかカモミールなどはどうか。  予定より少し早くチャイムが鳴る。  品の良い高齢のご夫妻。    部屋に通す。  本棚で遊んでいたライムは、何を思ったか、慌てて部屋中を飛び回り、窓ガラスに当たったり電気の傘にぶつかったりしたあげく僕の頭に着地する。 「ウチの子に似てるわね」 奥さまは、部屋に入るなり、そう言ってライムを見ている。 「まあしかし、同じような色のインコはいくらでもいるからな・・」 ご主人は、渋い表情でそう言いながら名刺を差し出し挨拶した。 「ご挨拶が遅れ失礼致しました。川端と申します。」  名刺によると秩父市の歯科医らしい。  僕も名刺を渡し、とりあえず食卓テーブルの椅子に掛けていただく。    普段、客など来ないので、部屋にソファーなどない。  僕はハーブティーの準備をしながら 「遠かったでしょう。ようこそいらっしゃいました。お車ですか?」 と尋ねた。 「もう運転免許は返上しました。」 「そうなんですか。それじゃ、ゲージを持っての移動、大変だったんじゃないですか?お迎えに伺えば良かった。気がつかず申し訳ございません。」 「いえいえ、とんでもございません。それにしても、その・・インコ・・ずいぶん懐いてますなぁ・・君に」  ライムは、ずーっと僕の頭の上から降りようとしない。   「ローズヒップティー、大丈夫でしょうか?」  僕は奥さまに確認した。 「ありがとうございます。外は寒かったから嬉しいわ。」  そう言って僕を見つめる奥さまは、とても寂しそうに見えた。  あんまり寂しそうで、僕は不安になった。  こんな優しそうな高齢者から大切なペットを横取りするのは残酷な行為だ。  僕は用意しておいたカステラと一緒にローズヒップティーを出した。  奥さまは、ハンカチで目頭を押さえている。  胸がしめつけられる。  適当な言葉が見つからない。 「生きていたら、君と同じくらいの息子がいたんです。学生時代に、山で死んだんです。驚かせて申し訳ない。君が優しくしてくれて、思い出したんだろう。初対面なのに。すまない。少しだけ、泣かせてやって下さい。」  ご主人が、そう説明した。  そうだったのか。  インコのための涙ではなかったことに、少し安堵したけれど、そんな境遇の方から可愛がっていたインコを奪うことは罪だとも思う。 「息子さん。お気の毒でした。僕も山登り好きです。仕事が忙しくなると妙に山に行きたくなるんです。不思議です。山へ行くと疲れるはずなのに、むしろ疲れが抜けるんです。」 「わかります。僕も昔は、山が好きでしたから。」  ご主人は、そう言って思い出の中にそびえる山を見るように目を細めた。 「最近は登らないのですか?」 「息子を山に盗られてから・・この人の気持ちを思うとね」  ご主人は少し恥ずかしそうに、同時に少し寂しそうに、そう言って、カステラを食べた。 「美味いな。このカステラ!どこのカステラですか?」 「美味しいでしょう。この街の鈴乃屋さんという和菓子屋のカステラです。よろしければ、まだ半分、箱に残ってますから。お持ちになって下さい。」 「ありがとう。君は、その、どう思う?このインコだけどね。僕は、なんだか君とインコを見ているうちに、本当はウチの子だったとしても、君が飼ってくれるなら、その方がインコは幸せなんじゃないのかと、そんな気がしてきたんだが・・」  ご主人が、そんなことを言い出すと、奥さまも泣き止んで上品な微笑みを浮かべ、物静かな声で落ち着いて話した。 「私も、そう思いますわ。私たちが飼っていてもインコより先に死んでしまうかもしれないですもの。それに私がいなくなれば夫は自分のご飯も作れないし掃除もできないんですもの。どこか施設にでもお世話になるしかないんです。ですから。どうか、この子を大切にしてやって下さい。よろしくお願い致します。」  せっかくゲージを抱えて、感動の再会を期待して、ここまで来た優しいご夫妻の気持ちを考えると、やるせなくなる。  僕は頭からライムを下ろして、こう提案した。 「この子の生き方は、この子自身に決めてもらいましょう。さあ、おまえは自由に、自分の思い通りにするといい。」  僕はライムを奥さまの目の前に差し出した。  僕の気持ちに迷いはなかった。    それまで、何がなんでも僕の恋人でいてほしいと狂おしいまでに夢中だった情熱は、ある意味、昇華して・・  気品に満ちたご夫妻の元に戻ってもライムは幸せに過ごせるだろうと思えたのだ。 9fb0100a-b380-4383-aef4-b07bc26da436
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