小さな恋人 For Happy Valentine’s Day

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 ライムは、しばらく僕の手の上でキョロキョロしていた。    ご夫妻の顔を見たり、食べかけのカステラを見たり、テーブルの上をチョンチョン移動しながら、多分、今置かれている自分の状況をまるで把握することなく自由に動き回り、やがて狭い部屋の中を飛び回ったかと思うと、また僕の頭に止まった。 a2b7de67-65f0-4636-852b-965d3f8eb60e  僕は、思わず胸が熱くなった。  人間の恋人ではないけれど、人間ではないからこそ、純粋な気持ちだけで求め合う確かな愛の絆を感じた。 「インコは、君が好きなんだ。ああ、良かった。良い方に可愛がっていただけるなら、その方が良い。」  ご主人は、そう言って立ち上がる。    奥さまも、微笑み立ち上がって 「近いうちに、きっと美術館へ遊びに伺います。不思議なご縁ですが、新しい楽しみができました。」 と、少女のように瞳を輝かせた。  僕は、カステラの箱を、買って来た時の紙袋に入れて奥さまに手渡し、 「ご自宅まで送らせていただきます。」 と申し出た。  ご主人は持ってきたゲージを指差して 「これはもう使わないので差し上げます。ご迷惑かもしれませんが、使わないなら売り払って下さい。お願い致します。」 と言う。 「それはかまいませんが」 「ゲージがなければ移動は楽ですから。お気遣いありがとうございます。それでは、ごちそうさまでした。インコをよろしくお願いします。」  ご夫妻は帰った。  残されたゲージを見る。  長年使われていたにしては、きれいだ。    よく見ると底に一通の封書が挟まっている。  白い封筒の中に万年筆の青いインクで書かれた端正な文字が並ぶ手紙が入っていた。   前略  電話させていただきましたが、本当は我が家のインコではないのです。  我が家のインコは、雪が降った日の朝、庭に飛び出しましたが、次の日、雪の下で亡骸になっていました。  妻に内緒で、そのまま庭に埋めました。  妻は、たいそう可愛がっていたインコの死を受け入れられるような精神状態ではありませんでした。   インコが行方不明になったことで、食事も喉を通らず、寝込んでいました。  それから三日ほど経った頃、新聞でインコを保護しているという小さな広告を見つけた妻は、さっそく電話しました。  お仕事中の時間だったので、お出になれなかったのだと思います。  妻は、インコが生きていると思っただけで、元気を取り戻しました。  またすぐ、妻は電話しようとしていましたが、僕は妻に嘘をつきました。 『僕も気になって電話したんだ。相手の方は今、お仕事がとても忙しくて我々に会う余裕がないそうだ。半月くらいしたら、また電話する約束をしているから。インコは元気にしてるそうだよ。』  それから、僕は、高齢者の飼っていたペットたちが、飼い主に先立たれ悲惨な末路を迎えたニュースなどを探し、妻に見せました。  そうしたテーマで書かれた書籍を取り寄せ、何気なく目につくところへ置いたりして、さりげなく妻の気持ちの変化を待ちました。  そんな折、つい一週間前のこと、妻の友人が心不全で急逝しました。彼女は年老いたシャム猫を飼っていて、引き取り手がない、そのシャム猫を妻は家に連れて来たのです。  『どうしましょう。こんな年寄りの猫でも、インコには怪獣みたいに見えるんじゃないかしら。仲良くできるかしら。』 『猫と小鳥は難しいかもしれないな』  僕は困った顔で、そう言いながら、内心ホッとしていたのです。  それでも妻が、どうしても、インコを引き取りに行きたいと言うものですから、あなたに電話させていただきました。  とんでもない芝居に付き合わせてしまい、心よりお詫び申し上げます。  ご丁寧に新聞に広告を出される方ですので、インコは快適に保護されているのだろうと想像しました。  保護されているインコをいただくことはできないと初めから考えていましたが、万が一、劣悪な環境下で心ない方に保護されていた場合には、我が家のインコだと言い張って引き取ってもよいと、漠然と考えながら、これから出かけるところです。  もし、この手紙を読んで下さることになりましたら、それは、あなたさまが、善意の方である証。  僕の我儘で、貴重な時間を割いていただき誠に申し訳なく、深謝致しますと共に、心より感謝申し上げます。  僅かばかりの気持ちですが、ゲージの処分費用を同封させていただきます。  ありがとうございました。                封筒には手紙と共に、小さなのし袋が入っていた。  開封して驚いた。  10,000円の図書カードが20枚も入っている。  どうしたものだろう。  僕は名刺にある川端歯科に電話した。 『現在使われておりません。』 とのアナウンスが流れる。  かかってきた電話の履歴から掛け直してみても、現在使われておりませんと同じアナウンスが流れる。              次の日。  事務長に、その話をする。 「もらっておきなさい。インコも。図書カードも。宝くじに当たったようなものだ。訳もなく恨まれたり、イヤな病気にかかったりする時代に、訳もなく感謝されるなんてラッキーじゃないか。人の善意はしっかり受け止めなさい。同じ相手に返せないなら、身近な人に返せばいいんだよ。楽しみだなぁ。ちょうど上村松園の展覧会、行きたかったんだ。」 などと言う。    ライムは今日も元気に、朝から歌っている。  僕は時々、ご夫妻にいただいたゲージにライムを入れてドライブに出かける。  ライムと共に海の音を聞いたり、深い森の空気に浸ったり、花の香りに包まれたりすることで、僕らは幸せな思い出を重ねてゆく。    ライムは僕の恋人。  小さな恋人だけど    世界一 ステキな 僕の恋人。      
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