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あの華やかな世界のほんの入り口を覗いただけなのに、先輩と千景が付き合っているというのはとても不釣り合いで歪に千景には感じられた。先輩は優しいから別れようと千景に言えないだけで、先輩が地元に帰って来ないということから、もう二人の関係は終わったのだと千景は察しないといけなかったのではないか。
兎に角ひと目でいいから会いたくて寂しくてこんなところまで来てしまった。でもこんなところに来ないでひっそりと別れを告げればよかったのかもしれない。
タクシーが先輩に指示されたとおり、マンションのエントランスにある車寄せにぴたりと付けられた。
先輩が千景に強引に握らせたタクシー代ではなく、自身の財布からタクシー代を支払ってタクシーを降りる。
このまま先輩の部屋に図々しく上がることは憚られたが、タクシー代と手紙を部屋に置いたらすぐ去ろうと部屋に向かった。
先輩の部屋はいわゆる大学生が独り暮らしをするようなアパートとは程遠く、セキュリティがしっかりと整った都会の最新のマンションだ。
「おじゃまします」
誰もいないはずの家だが言わずにはいられなくて、小さく呟いて部屋に上がる。独り暮らしには広いリビング。
ゆったりとしたソファの前に置かれたオーク素材のテーブルの上で、リュックから取り出したメモ帳を1枚丁寧に剥いだ。
初めて付き合ったひとだった。 キスもセックスも、額を合わせて笑い合うのも全部先輩が初めてだった。
寂しくてつまらない毎日を送っていた千景に鮮やかな世界を見せてくれた。別れるのは辛いけど、感謝の思いしかなかった。
うらみごとを決して綴らないように、ありったけの感謝の気持ちを込めて別れの手紙を書くと千景は立ち上がった。
顔を見たらさよならなんて絶対言えない。みっともなく泣いて優しい先輩を困らせるだけだ。
「さよなら、 先輩」
そう呟いて立ち上がると
「どういうこと? 待っててって言ったよね? もう帰るつもり?」
驚いて振り返ると不機嫌そうに腕組みをしながら壁に先輩が凭れて立っていた。
「先輩……なんで……」
いつもの優しい先輩の顔とは全く違い、無表情だった。
「チカの様子がおかしかったから」
先輩の美貌は表情を無くすだけでこんなにも怖くなるのかと立ち竦む千景の横に先輩はやって来ると、テーブルに置かれた手紙を手を伸ばした。
「あ……」
目の前で手紙を読まれるのは予想外だったので思わず声を上げてしまった千景を無視して手紙を手に取る。
かさりと紙の乾いた音がやたらと大きく感じた。
「さっきのさよならは、別れるつもりのさよならだったの?」
手紙に目を通した先輩が冷たい声で尋ねる。
静かに頷くと先輩は深く深く溜め息を吐いた。それから俯いていた千景の顎を指で掬って上を向かせる。
「つまりチカは僕がいなくても生きていけるって思ったってことだよね」
無理矢理に視線を合わせられる。見たことがないほどにひどく獰猛な視線に脚から力が抜けた。
「どうやら手加減しすぎたみたいだったね……チカは僕がいないと生きていけないんだってちゃんと教えてあげないと」
「せんぱ……っんん」
荒々しく唇が奪われた。いつもはうんと優しく絡められる舌が、千景の咥内をめちゃめちゃに舐め回す。喉の奥まで舐められて、完全に立っていられなくなったところで、千景は抱き上げられて寝室に運ばれた。
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