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第45話 ザンパール平原
対岸の桟橋につき、馬をひいて舟からおりる。
ウブラ国の領地だ。おもわず踏みしめた足を見る。
「猿の国も、犬の国も、大地はどこも変わらんぜ」
自分の心情をさっしてか、ラティオが茶化した。こうして敵の領地に立つのは何年ぶりだろうか。
十五歳になると、すぐに訓練兵となった。それからはずっと軍人だ。軍人の場合、民間人よりもウブラ国へは入りずらい。なにかあれば軍の問題になるからだ。ここ数年は小規模な戦闘もなかった。
しゃがんで土をさわってみる。ウブラの土。猿人族の土だ。
「ヒックイトの里でも踏んだ土だ。いくぞ」
言われてみればそうだった。ラティオとヒューが馬に乗る。自分も馬に乗り、アトに手をのばした。
「ありがとう」
慈愛のする笑みを見せ、少年は自分のうしろへと乗った。
礼を述べるなら、自分のほうだ。軍人の行動範囲はせまい。アトに同行することで、いままで見えなかった物が見れた気がする。
川ぞいにひろがる平野は、荒涼とした大地だった。遠くに小さな農村がいくつか見える。
ひとまずは川ぞいを北へ進んだ。ザンパール平原へは、北上していけば着けるはずだ。
荒野をしばらく走ると、地面が平坦になっている道を見つけた。街道だ。安心して馬を走らせることができる。しかし、ここまで来ても、わが軍の影も形も見えない。
「急ごう! 馬は潰れちまってもいい」
ラティオが併走してさけんだ。その通りだ。戦いが始まるまえに追いつかなければ意味がない。
手綱をたたいた。馬が全力で駆けはじめる。
「遅かった。そのまちがいは二度としたくない」
あのとき、アトはそう言った。今度こそ間にあわせる!
自軍を探しながら、馬を走らせつづけた。
しかし、地平線までつづく大地のどこにも、騎影のひとつすら見いだせなかった。
だんだんと気持ちがあせってくる。もうザンパール平原には入っているはずだ。
「グラヌス!」
後方のラティオが指をさした。小高い丘がある。そこから見ようというのか。
「わかった!」
馬蹄の音に負けぬよう大声で答え、馬首を曲げた。丘に駆けのぼる。
「いたぞ!」
思わずさけんだ。眼下に両軍が見えた。茶色い大地には、すでに両軍が展開している。
一刻のゆうよもない。しかし、自分が立っているのは丘ではなかった。崖だ。
「グラヌス、こっちだ!」
ラティオがさけんだ。おりる道をみつけたらしい。
「間にあわない、ヒュー!」
とつぜん背後のアトがさけんだ。
「グラヌス、アトを止めろ!」
ラティオもさけんだ。なにを止めるのだ?
ヒューが羽ばたいた。こちらに飛んでくる。馬のうしろにいったかと思えば、アトを抱きかかえ飛び立った!
「無茶しやがる!」
ラティオが手綱をたたいた。自分もあわてて馬の腹を蹴る。
坂道を駆けおりた。道が細い。馬が踏みはずせば崖から落ちる。
前方を走るラティオも死にものぐるいで馬を飛ばしていた。その蹄に蹴られた岩が崖から落ちた。
これは落ちたら死ぬ。全身の毛が逆立った。かまわず手綱をたたく。
なんとか坂をおりた。馬首をめぐらし両軍がぶつかる地点へと走らせる。
両軍の歩兵が横列でならんでいる。じりじりと進み、たがいの距離をつめていた。
ウブラ軍の太鼓が鳴る。最前列が駆けだした。ここまできたのに駄目なのか。一度でも剣と剣がぶつかる音が鳴れば、止めることはできない!
「人だ!」
だれかがさけんだ。
上空、アトをかかえたヒューがいる!
両軍の前列が上空を見あげ、足が止まった。
おなじだ。ラボス村をめざし舟をおりたとき、周囲をさぐって舞いおりたヒューをヒックイト族と一緒にながめた。
人が空からおりてくる。それは、あまりに異様な光景だ。
ヒューとアトは、両軍のあいだにある大地へおりると静かに立った。
だれも声を発しない。自分は腹に力を入れた。
「第三歩兵師団、第五隊長のグラヌス!」
自分の声に、両軍の兵士がふり返った。
「第三歩兵師団、第五隊長のグラヌスである。戦いを待たれよ!」
アッシリア軍の後方にゼノス師団長の顔が見えた。ラティオはウブラ軍のほうに駆けていく。
間にあった。
自分でも半信半疑だった。動きだした軍を止めれるのかと。
手綱をゆるめ、ややゆっくりと近づいていく。
「第三歩兵師団、第五隊長のグラヌスである。戦いを待たれよ!」
もういちど大声で伝える。腰にさした剣を鞘ごとぬいて頭上にかかげた。それを岩のころがる大地に捨てる。
間にあった。心に浮かぶ言葉は、それだけだった。
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