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第48話 バラールからの逃走
さきを走るアトに追いつけない。さらに手綱をたたいた。
バラールの東門が近づいてくる。暗がりに人影が見えた。イーリクだ。
「ともにいこう、イーリク!」
「おもどりください!」
アトとイーリク双方のさけびが聞こえる。アトはイーリクのそばで馬をおりた。
「ふたりとも、馬に乗れ! おれがどうにかする」
よこを走るラティオだ。なにか策があるのか。
東門から甲冑をつけた兵士がぞろぞろ出てきた。バラールの衛兵。あの宿屋での戦闘が知れわたったか!
衛兵の装備を見る。弓を持った者が見えた。うしろを見せて逃げるのは危険だ。蹴散らさないといけない。
剣をぬいた。このまま衛兵に突っこむ!
衛兵との距離がつまったそのとき、周囲に感じたことのない気配がわいた。
精霊だ。しかし、荒れ狂うような気配を感じる。
「暴風塵の合呪!」
どこかから声が聞こえた。声のつぎに来たのは砂嵐だ。吹きつける砂塵は強く、馬の上に乗っているのがやっとだ。
「あやうく、置いていかれるとこだったわい」
飄々とした声であらわれたのはボンフェラートだった。
「しばし精霊の暴走はつづく。みなの者、逃げるのじゃ!」
ボンフェラートの言葉に、みながわれに返った。
「アト、こっちの馬へ!」
馬を走らせ手をのばした。アトがそれを両手でつかむ。いっきに引きあげた。ここまで何度も二人で乗ったので呼吸がぴたりと合っている。
アトが乗っていた馬は、イーリクとボンフェラートが乗った。そして、いつのまにか、ラティオのうしろにはヒューが乗っている。
「いくぞ!」
ラティオの檄が飛び、みなが手綱をたたいた。遅れてきたドーリクがあわてて馬を反転させる。
しばらく全力で馬を駆けさせた。
追っ手はこない。先頭を走っていたラティオが速度をゆるめたので、自分も手綱をゆるめ、馬を駆け足にもどす。馬のうねるような前後の揺れが、小さな縦揺れに変わった。
「無茶すんじゃねえ!」
ラティオが前方をむいたまま怒鳴った。アトのことだ。
「ごめんよ!」
背後から大声で答えるのが聞こえた。ラティオが馬を止める。みなを待つようだ。
馬をまわし、こちらをむいたラティオの顔は、怒鳴ったわりに怒ってはなかった。
「なんべん注意しても、わかりゃしねえ」
そう言いながら、口のはしが笑っている。
「ラティオ殿、それは私を憂慮してのこと。アトボロス殿を責めないでやってください」
イーリクがそう言いながら追いついてきた。そのうしろからドーリクもくる。
「最初に申しあげておれば・・・・・・」
「いや、そしたら、この馬鹿は動かねえ」
うしろで動いた気配がした。うなずいているのだろう。アトは素直な少年だと思っていたが、意外に強情なのかもしれない。
「ここで私はわかれ、コリンディアにむかおうと思います。年老いた祖母がおりますので」
馬をおりようとしたイーリクをラティオが手をあげて止めた。
「なんとかするって言ったろ。みなでいく」
ラティオは遠くに見えるバラールのさらに南を指さした。
「あのあたりに手こぎ舟をかくしている。大きく迂回して近づき、あるていどまで近よったら馬は捨てよう。小さな舟だ。馬は乗らねえ」
ぞっとした。さきほどラティオは、バラールの東に舟を用意したと言ったはずだ。さらに南にも用意しているとは。
「ラティオ殿、ここまで読んでいたのか!」
恐るべき英知とおののいたが、ラティオは笑った。
「こんなこと読めるかよ。なにかがあり、東へ進めないときの用心をしておいただけだ」
自分は笑えぬ。そのなにかとは、なんなのだ。
「まあ、考えようによっちゃ、どの国の連中も、おれらはアグン山にむかったと思うだろう。まさかアッシリアに再入するとは思わねえはずだ」
それは思わない。自分も国を捨て、二度とコリンディアの地を踏むことはないと覚悟したのだ。
「軍を撤収するのも時間がかかる。今夜のうちにアッシリアにわたっちまおう。それからイーリクの婆ちゃんを連れ、どこかへ逃げる」
みながうなずいた。馬の腹を蹴り、進発させる。
「助けるつもりが、助けられたようです。この借りはいずれどこかで」
声がしてふり返るとイーリクだった。併走して手をのばしてくる。うしろのアトも手をのばし、ふたりが手をにぎった。
次にイーリクは馬をせかし、先頭のラティオに追いついた。ラティオと言葉を交わし、握手も交わす。犬人と猿人が手をにぎるなど、ひと月前の自分に言ったら馬鹿かと言われそうだ。
しかし、猿人。もはや頭の動きが自分とは根本から異なる。なにを考えているか、それを推し量るのは無理だろう。猿人は頭がいいのか、ラティオが特別なのか。
「アト殿」
うしろに座る人間族に声をかけた。
「なに、グラヌス」
「なぜ、引き返した」
「なぜって、イーリクが危ないから・・・・・・」
それはわかる。ひとりだけ残るのだ。捕まるのは明白。
「ほかは、なにか考えたか」
「それは特に・・・・・・とにかくイーリクが危ないから」
見た目でいえば人間族は猿人族に近いのだが、アトは自分のほうに近い気がする。
「ラティオ殿だが」
「うん」
「なにを考えているか、まったくわからぬ」
「おなじだ。ぼくもわからないから、迷ったときは、とにかくラティオに聞いてみようと」
いま正に自分が考えたことそっくりに、人間の少年が語った。
「アト殿は、迷われることはあるか?」
返事がすぐ返ってこない。考えているようだ。
「そう言われれば、あまりない。もっと考えるようにするよ」
これも、おなじだ。自分もすこしは頭を使おう。
「でも、ラティオには追いつけないかも。せめて弓の練習でもしようかな」
なるほど。自分は剣の腕をみがこう。
みょうに剣が振りたくなった。そのむず痒さを押さえ、雲からでた月を見あげた。
ちょうど満月だ。
思えば、数日前にアトは生まれ故郷を背にした。悲しみのときではあるが、旅立ちのときでもあった。
まさかその数日後、今度はおのれが故郷を捨てる旅立ちがくるとは。
ラボス村をでたさいは、雲ひとつない空だった。太陽を背にした旅立ちだ。
自分の旅立ちには、どうやら満月が祝福してくれるらしい。
このさきがどうなるか、それはわからぬが、この月のように夜道を照らす。そんな男でいたいものだ。
「なかなかに自分も考えるではないか」
「なにが?」
思わず漏らしたつぶやきに、アトが反応した。答えに困る。
「いや、今日は満月でよく見えると」
適当にごまかした。だが、アトは月を見あげ感嘆の声でそれを返した。
「はじめて見たグラヌスみたいだ。おとなに捕まり、あのとき止めてくれたグラヌスは、ぼくの暗闇を照らす満月だったのかもしれない」
そんなことはない、と返そうとしてやめた。右も左もわからぬ街にやってきたのだ。それから役所で相手にされなかった。真っ暗闇と言ってもいい。
アトに言われるほどの男ではない。だが反省は明日からでいいだろう。ひじょうに気分がいい。これほど心が高揚するのは稀だ。高揚に心をまかせ、体は馬の揺れにまかせるままに、月光照らす夜道を進むことにしよう。
せっかく、おのれの旅立ちなのだ。心高ぶるままに、明日への道を歩んでいこう。
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