第一章 暴力団

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 初めて会ってからひとつの季節が過ぎた。  直登は生活が激変しても、なにかが欲しいとは、決して言わない。  彼の望みなど、分からないがしかし、食事に困らず、帰る場所があって、天風を凌げる場所があればいい。直登はいつもそう言う。  人間の望みとは、それだけなのだろうか?  ヴァノはそう思ってしまう。  さまざまな人間達を見てきたからかもしれないが、直登以外の人間は、そんなことが当たり前で、それでもなお、自分の手に入れたい望みを口にする。こういう自分になりたい。もっと仕事ができるようになりたい、など。  自分の生活が完成して初めて、願いを持てるのかもしれない。  だが、直登は人並みの生活になったとしても、願いは口にしない。  感謝されるが、それだけだ。  直登は直登なりに、覚悟は決めているのだろう。  人の闇ばかり目にしてきたのだから、願いなど簡単には持てないかもしれない。  ヴァノはそう思いながら、残りのビールを飲んで、缶を片手で握り潰した。  一方直登は、眠くなるまで扇風機の前から動かなかった。  どれほどそうしていたのか分からないくらい、その場を動かずにいた。  ヴァノに出会ってからというもの、直登は昼夜逆転の生活になった。  最初こそしんどかったが、数か月もすれば、慣れてしまった。  夜に動くようになったからだろう。人間なのに、そうでなくなったかのような気すらある。  今でも、信じられないのだ。自分が悪魔の目に(かな)う感情を抱いていた、ということに。  感情を宝玉にするという悪魔が、実在するだけでも驚きなのに、長く生きているであろう悪魔が自分を主などと言うことが、本当に信じられない。これは夢ではないか? 何度そう思ったことか。けれど、夢ではないのだと、いつも思う。人の心を自分の言葉で殺すたびに。  残酷なことだ、と思う。でも、傷つけると決めた以上、引き返すことは、できない。  直登は暗い顔をして、しばらくその場から動かなかった。
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