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 私は再度、台所に戻った。  今一度、床に転がる老婆の様子を確認する。やはり、息絶えている。眠っている訳ではなさそうだ。  ゆっくりとその場に座り、老婆の手に触れた。煮干しの袋を握りしめている指は、凍るように冷たい。死後硬直も始まっている。  どうせ今日も、「クロちゃん」が来ると信じていたのだろう。代わり映えのしない魚の干物を、皿一杯に用意しながら。  私は、老婆の手から、煮干しの袋をもぎ取った。そして、それをポケット内にねじ込もうとして、気が付いた。すでに中には、違うものを入れていたのだった。  今回盗んだ、唯一の戦利品。大きなダイヤモンドがついた、高そうな指輪だ。  私は、ポケットから指輪を出した。仕掛けタンス内、しっかりとケースに保管されていた、輝く装飾品。亡くなった亭主からの贈り物だろうか。老婆が言っていた思い出の品の、「大切なもの」の一つなのかもしれない。  煮干しの袋を失った老婆の掌が、ぽっかりと空いている。私は、その隙間に指輪を入れ、握らせてやった。零れ落ちないよう、ぐっと力も込めてやった。  老婆から奪った煮干しを、口の中に放り込む。いつもと同じメーカーだ。特別美味い訳ではない。香ばしいが、舌に苦みが残る。  ただ、なぜだか今日は、ほんの少し塩辛い気がした。
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