タカユキの場合

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 気がつくとまたあの店の前にいた。ポン引きは冗談のように「ドウデス、モウイッカイ」と誘った。ぼくがうなずくと、ポン引きは声を出して笑った。そしてまたジュンコのいる部屋に連れて行った。ジュンコは、あ、と言った。ぼくはベッドに転がり「寝かせてくれ」と頼んだ。頭をかかえて目を閉じた。睡魔が襲った。  内線電話の呼出し音で目が覚めた。ジュンコはそばにすわってぼくの頭を撫でていた。時間よ。そう言った。そのとき、湿気でカビがはえ、すこしめくれている壁紙を見て、ああ自分は逃げ出したのだと知った。  ジュンコはいまどうしているだろうか。彼女の薄い唇と浮き出た鎖骨を思い出す。時計を見ると午後十時だ。ジュンコはこれから今日最後の客とするのだろう。オニイサン、オアソビドウデスカのポン引きの言葉に誘われた男に抱かれるのだろう。彼女を抱く男たちの姿を想像してみるが、うまく像を結ばない。あの申し訳なさそうなジュンコの笑顔は思いうかぶ。イラッシャイ、アイタカッタワ、と彼女は今夜も言うのだろう。ジュンコの客たちに嫉妬すべきか、それとも毎度ありがとうございます、と感謝の言葉をのべるべきか。どっちが正解なのだろう。煙草が吸いたい。礼を言うべきなんだろう。たぶん。ポケットにある煙草は客がジュンコを抱いた金で買ったものだ。
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