タカユキの場合

9/11
前へ
/11ページ
次へ
「ありがとうございました! またのおこしを!」  広川が店の前で客を送り出していた。大声で叫ぶように。客は顔を火照らし、満足そうに雪のなかに消えた。年老いたサンドイッチマンが「あの店もかわっちまった」とつぶやきながらぼくの目の前を通り過ぎる。 「むかしは立派なグランドキャバレエだったのによ!」  若い男が「トイレ休憩だ」と背中をたたいた。缶コーヒーを買って百円パーキングに無造作においてあるコンクリートの塊に腰をかけた。背にしているビルの壁が雪と風をふさいでいてくれた。同じように休憩している男たちの一人がぼくをにらんで舌打ちをした。多分この場所は今までやつらのものだったのだろう。かわってやってもいいのだが、あまりに寒くて動く気がしない。風が吹く。安物のシューズから寒さが這い上がり膝を震えさせる。もう少し着込んでくればよかった。冬の夜をバカにしていた。寒い。寒い。寒い。まるでマッチ売りの少女みたいだ。寒い夜に、いじわるじいさんに命令されて、マッチどうですか、マッチどうですか。でも誰も受けとらない。俺もこんな寒い夜に、やくざみたいなオッサンに命令されて、オッパイどうですか。オッパイどうですか。なぜマッチ売りは放火魔にならなかったのだろう。あのカゴいっぱいのマッチで自分を苦しめた町をどうして焼かない。俺がマッチ売りなら。ぼくは自分が放火するところを夢想した。なに考えてるんだ。ぼくは逃げ出したんじゃないか。それに多分火をつけようとしても火力足りなくて雪に消されるだけだ。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加