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パパの大きな手が好きだった。
緩く頭を撫でる優しい感触。
抱き上げられる時に背に回った安心感のある温もり。
この手がある限り、私が傷付くことはない、と思っていた。
この手がある限り、私は絶対的に守られている、と思っていた。
でもそれは、7歳のある時点までという、期限付きのものだったらしい。
「あのね、ママとパパは離婚することになったの」
学校から帰って来た私に、ママが憔悴し切った顔で言った。その言葉の意味を分からないほど子供じゃない。
今日は終業式だった。
明日は夏休みで、家に着くまでの間、これから何をしよう、何して遊ぼう、今年はどこに旅行へ行くのか、海もいい、山も行きたいな、というウキウキワクワクしていた気持ちが一瞬で萎んで無くなった。
ママとパパが最近、よく喧嘩していたのは知っている。
でもまさか。
こんな事になるとは思わなかった。
思ってもみなかった。
だって私達は家族で、一緒に暮らすのが当たり前で、日常で、それ以外なんか無くて、あり得なくて、私のママはママしかいなくて、パパはパパしかいないのに。
放心状態の私にママが縋り付く。
泣きながら離婚に至った理由を教えてくれる。
知りたくもなかった、残酷な現実を。
「パパはね、私達に黙って他に家庭を持ってたの」
「ほ、他……?」
「そう。……パパにはママ以外の人がいて、貴女以外の子供がいたってことよ」
頭が真っ白になる。
理解出来ない。
意味が分からない。
待って待って待ってよ、ママ。
そう言いたいのに一つも言葉にならなかった。
音にならなかった。
走ってもいないのに、全速力で駆けたような息苦しさが喉を締め上げる。全身を貫く激しい鼓動で耳鳴りまでしてきた。
これ以上は辞めて欲しい。
一旦、落ち着く時間が欲しい。
私の無言の訴えは今のママには届かなかった。
狂気を宿したような、爛々と濁った光を放つ瞳が私を捉えて離さない。大きく開いた唇も咆哮を止めてくれない。
「パパはね、ママと貴女を裏切ってたの! 仕事が忙しい、出張だ、なんて言い訳して、ずっと誤魔化されてた! 騙されてた! うう…っ、なのに、今になって認めて、離婚だなんて……あんまりよ!」
ぐらぐら、ぐらぐら、揺れる視界。
泣き崩れるママが私の両肩に爪を立てる。
「あっちがいいんだって! パパは私や貴女よりあっちが好きなんだって! 酷い人……っ! 本当に、最低!」
こんなに取り乱したママは初めて見た。
放たれる言葉の刃が私の胸を刺すのに、しっかりしろ、泣いちゃダメ、ママを支えなきゃと、頭の隅っこの方で妙に冷静な部分が叱咤してくる。
そして、その冷静な部分は否が応でも結論を示していた。受け入れ難いのに、知る辛さを飲み下す。
ママとパパと私は家族になったのに、パパは違う家族を作っていた。つまり、私とママはパパにとって大切じゃなかったんだ。一番じゃなかったんだ。代わりを欲しがれるだけの存在だったんだ。
結果、パパは私とママを捨てた。
捨てて、違う家族を選んだ。
離婚って、そういうこと。
激しい無力感に打ちのめされる。
あの大きな手は、もう私のものじゃない。
欲しがっては、いけない手。
求めても、決して私に伸ばされることはない。
永遠に、失ったのだ。
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