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第1話-①
校長先生の長い話は、長くて退屈なものだと相場が決まっている。眠ってしまうのではないかとわたしは心配していたが、幸いなことにそれは杞憂に終わった。眠気はすっかり吹き飛んで、目が冴えて、あくびのひとつも出やしない。
もっとも、話を聞いているどころではないという点では、眠っているのと大して変わらなかったけれど。
わたしは、窓際の一番後ろの席で、頬杖をついて、窓の外を眺めている転入生の姿を見ていた。やっぱり間違いない――あの亜麻色の髪の毛の輝き。同じ学校の制服を着て、同じ教室の中にいるなんて、信じられない。
四月の明るい朝日。
その中にあっても、やっぱりきれいだ。
春月光。
それが、あの妖精の名前らしい。外国人のようだけれど、どうやら日本人のようだ。始業式を終えて、ロングホームルームまでの短い休み時間。彼女は窓際の一番後ろの席に座って、頬杖をついて、窓の外を眺めている。
転入生というイベントにあれだけ色めき立っていたクラスメイトたちも、妖精――春月さんに積極的に話しかけようとはしない。あの日本人離れした外見、特に、あの長い亜麻色の髪の毛――染めているのか、それとも地毛なのかはわからないが、とにかく目立っている。うちの学校は基本的に目立つ染髪は禁止されているので、あんなに明るい髪の毛をしている人はいない。
クラスメイトみんなが、やや遠巻きに彼女のことを意識していた。
そのせいで、ただでさえ目立つ彼女が、余計に異質なものとして、クラスの中でひとり浮いている。
かくいうわたしも、ほかのクラスメイトと同じように、遠巻きに彼女を眺めているひとりだった。
「あの、春月さん」
そんな中で、勇気ある女子が数人、彼女の席に歩み寄った。どのクラスにもよくいる、仲のいい数人で固まっているグループの女子たちだ。
「せっかく同じクラスになったんだし、お話ししようよ。これからよろしくね」
春月さんは緩慢な動作でゆっくりと振り返ると――
長い髪の毛の下に隠れた耳に手をやり、イヤホンを外した。
「……なに?」
小さいのに、ざわつく教室の中でよく響く声。波のように涼やかな音色だった。
女子たちは矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「ね、前はどこに住んでたの? どうして引っ越してきたの?」
「ていうか、その髪の毛すごくきれいだよね! それに目の色も」
「もしかしてハーフ? じゃあ、海外で暮らしてたとか?」
「何の曲聴いてるの?」
「スマホ持ってる? 連絡先――」
「――ごめんなさい。言いたくない」
春月さんは短く答えた。
にこりともせず、じっと、相手の目を見つめながら。
春月さんと、女子たちの間だけではなく、クラス中に一瞬、気まずい沈黙が広がった。
「あ……そうなんだ。ごめんね」
お互いに無言。
その時、タイミングよく――あるいはタイミング悪く、チャイムが鳴る。
「はい、みなさん席について~。ホームルーム始めますよ~」
室戸先生が教室に入ってきて、緊張した空気はいくぶんか和らいだ。春月さんの机の周りに集まっていた女子たちも、それぞれの席に戻っていく。
春月さんは表情一つ変えずに、先生のほうを向いていた。
ロングホームルームを終えると解散となる。時刻はまだ正午の少し前。みんな学食に行こうとか、帰りにカラオケに行こうとか話している。
わたしは鞄に配られたばかりの教科書をしまいながら、春月さんの机を見た。春月さんはすでにいない。ホームルームが終わったのと同時に、教室を出て行ったようだった。
「瑠璃ちゃん、一緒に帰ろう。ご飯食べに行こうよ」
玉ちゃんが鞄を手に駆け寄ってきた。
「あ、うん。そうだね」
わたしは慌てて立ち上がり、下駄箱へ向かう。
「……なんかさー、感じ悪くない?……」
「……だよねー。なんか、興味ありませんって感じ……」
「……でも、転校してきたばかりなんだしさ……」
廊下を歩いていると、クラスメイトたちの噂話が、否が応でも耳に入ってくる。その中心にいるのは、さっき春月さんに話しかけていた女子たちだ。話題も当然、転入生のことだろう。
「でも、びっくりしちゃったよね」
下駄箱で靴を履き替えながら、玉ちゃんはつぶやいた。
「転入生だなんて。それに、すっごくきれいな子……」
「うん……」
「瑠璃ちゃん、しゃべった? 春月さんと?」
「ううん」
「わたしも、まだ。なんか話しかけづらいよね……」
玉ちゃんは誰にだってそうでしょ、とは言わないでおく。それに、春月さんがとっつきにくい雰囲気を持っているのは事実だ。でも、女子たちの噂話を聞いているのはなんとなく不愉快なので、わたしはそそくさと学校を後にした。
玉ちゃんの言う通りに、わたしたちは学校前のバス停からバスに乗って、三十分ほどかけて市街地へ向かう。そこは商業ビルやゲームセンター、カラオケなど、若者が遊ぶような場所が一通りそろっているエリアで――というかこの街には、ここしか遊べるような場所はない。あとは山と森、海、畑が広がるばかりだ。だからバスを降りても、同じ制服の子たちが周りには大勢いる。
わたしたちは六階建ての商業ビルの六階にあるフードコートエリアへとやってきた。わたしは天ぷらうどんを、玉ちゃんはハンバーガーとポテトを、それぞれトレイに乗せてテーブルに座った。
「…………、」
周囲は同じ制服の子だらけ。わたしは無意識のうちに、春月さんの姿を探していた。背も高いし、あの明るい髪色なら、すぐに見つけられるはずだ。だけど、春月さんは見当たらない。
「瑠璃ちゃん、どうしたの? きょろきょろして」
「あ、ううん……何でもないよ」
玉ちゃんのほうを見ると、露骨に不機嫌そうな顔になって、コーヒーをすすっていた。
「やっぱり、なんか変だよ。瑠璃ちゃん」
「そんなことないよ」
「あるよ。やっぱり何かあったんでしょ」
「なんでも……」
「ウソ。話して」
玉ちゃんは人見知りのくせに、いったんこうなるとしつこい。
わたしはあきらめて、玉ちゃんに話すことにした。
「実は、さ。昨日、春月さんを見たんだ。海で」
「海? 昨日って?」
「昨日の夜。うちの裏から浜に抜ける道があってさ。いつもぶらぶら散歩してるんだけど、その時に見たの。暗かったけど、はっきり見えた。あの髪と目の色……間違いなく、春月さんだった。でも、なんだか信じられないの。夢みたいっていうか」
「何か話したの?」
「ううん」
「じゃあ、瑠璃ちゃんの家の近くに引っ越してきたのかな……」
「だからって、わざわざ夜中に海に入りに来るかな?」
「でも、瑠璃ちゃんも夜中に海に行ったんでしょ」
「海に行ったってだけで、入りに行ったわけじゃないよ……そう、春月さん、その時何も着てなかった。素っ裸だったんだよ、夜中に」
「な、なにそれ……!」
玉ちゃんは途端に顔を真っ赤にする。
わたしはほとんど伸びかけのうどんをすすった。
「変な話でしょ。だから、なんか変な夢でも見てる気分でさ。まさかその人が転入生だったなんて。やけに気になっちゃって……」
「そ、それは確かに気になっちゃうね……」
「でしょ。でも、あの時なんで裸で泳いでたの? なんて、馬鹿正直に聞くのもなんか変な感じだし……でも、なんか気になっちゃうし……」
「る、瑠璃ちゃん、あんまり裸、裸って……言わないほうがいいんじゃないかな……」
玉ちゃんはしきりに周囲の目を気にしていた。
「ごめん」
コップの水を飲むと、少し落ち着いた。確かにこういうところで話すことじゃなかったかもしれない。けれど、言葉にして玉ちゃんにしゃべってみたら、自分の中でもやもやとわだかまっていた感覚が形になってきた気がする。
残っていたうどんをぜんぶすすって、わたしはトレイを手に立ち上がった。
「よーし、今日は遊びまくるぞ。明日から授業だしね。とりあえず、カラオケにでも行く? それとも買い物?」
「あ、う、うん……買い物がいいかな! 春物の服、見たいから」
「オーケー。じゃあ行こう、玉ちゃん」
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