猫に至る病

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 小柄ながら必要以上に女性的な肢体を巫女服で包んだ彼女は、薄暗い面会謝絶の室内で薄ぼんやりと光を放っていた。いつの間に入ってきたのか音も無く私の傍らに立っていた。  誰だろうと疑問に思うと、彼女はそれに答えるように「妾は“猫神”である」と口にした。なるほどドングリのような吊り気味の目に翡翠の瞳は猫のように見えなくもない。  彼女の周りに湧き出すように何匹もの猫が現れた。  三毛、ハチワレ、黒、茶虎、長毛種、短毛種、何匹もの猫は何十匹もの猫となり彼女にまとわりつき、床にひしめき、機材や棚の上に登って私を見下ろした。視界の限り一面猫まみれだ。  投薬も多いし生死の境だし、これは猫が好き過ぎて強めの幻覚を見ているのね。猫の神様、今日はどんなご用件で? 「三匹の猫より嘆願があった故にな」  三匹? 気が付くと私にかけられたシーツの上に三匹の猫が座っている。  一匹は結婚して二年後に亡くなったハチワレの老猫。一匹は実家で昔飼っていたアメリカンショートヘア。最後の一匹、茶虎には見覚えがない。 「然もありなん。お主が出会ったときには、そやつはもうこと切れておったしのう」  その言葉で思い出した。  私がまだ小学生だった頃、路上で車に轢かれて死んでいる猫を見つけたことがあった。  母は「汚いから触っちゃいけません」と咎めたけれども、私はせめてと路肩の草むらへ移して手を合わせたのだった。  道具もなく埋めてあげることさえ叶わなかった、本当に自己満足の弔いだったのだけれども。 「それでも亡骸(なきがら)をそれ以上損ねずに済んだのはお主のお陰よ。獣たれば野垂れて死ぬるは必定、そこまでは求めぬとそやつも言うておる」  猫って凄い覚悟と哲学で生きてるのね。人間より賢いかもしれない。 「ともあれ、一匹ならまだしも二匹三匹ともなれば妾も情けをかけようというもの。その身に降りかかる死より逃れることは叶わねども、新たな身を与えてやるくらいは出来んでもない」  新しい身体。猫の神様なのだから猫にでも生まれ変わるのだろうか。 「生まれて変わるわけではないが子猫になるのは間違いないのう。ただし先にいくつか言っておかねばならぬ」  彼女は宝石のような美しい瞳で私を覗き込む。 「心はひとまずひとのままであれどその身は全て猫、もはやひとの言葉を発するどころか解することすら叶わぬ。  そして時が経てば身体に引きずられ心も猫と成り果て、ひとであった記憶も薄れて消えよう。いずれお主はまったくただの猫となる。  寿命も猫のそれゆえ家族を置いて再び死を迎える運命も変えられぬ。あるいはまたしても病や怪我で早逝するやもしれぬ。  今ならばひとりの人間として死ねよう。しかし次は猫じゃ。言葉も知性も失って一匹の獣として死に至る」  すべての猫が私を見ている。 「妾はお主がひととして生をまっとうするのであれば、それもよかろうと思うておる。しかしすべて承知した上でそれでもなお、お主が望むのであれば。せめて猫として家族の傍に在れるように妾が取り計らってやろう」  そうして朝を待つことなく、死に目に彼や娘と会うこともなく、私は息を引き取った。
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