猫に至る病

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 私の葬儀から三日目の朝、どこから忍び込んだのか、彼のベッドにハチワレの子猫が丸くなっていた。  そう、私だ。  物心ついた頃から保護猫と触れ合っていた娘は元々猫を飼いたがっていたので、それはもう大喜びで難渋を示す彼を押し切った。  私が死んで間がなく悲しみに塞ぎがちなようだった彼も忙しいほうが気がまぎれると思ったのだろう。けっこうなことだ。  “猫神”様が言っていた通り、私はひととしての意識を保っていながら言葉はわからなくなっていた。  けれどもなんの心配があるだろう。  たとえ言葉がわからなくても表情を、仕草を見れば彼の、娘の気持ちを汲み取ることなど造作もない。  彼らが嬉しいときは共に喜び、悲しみ落ち込んでいれば静かに寄り添った。  死してなお傍にいられる。幽霊などと違いぬくもりをもって触れ合えるのだ。こんな贅沢なことはない。  寝坊しそうになれば起こし、洗濯物を忘れていれば脱衣所で騒いで知らせる。まるで人間の頃のように過ごしているにもかかわらず、だんだんと自分がどうしてそんなことをしているのか思い出せなくなっていった。  そしていつしかふたりを家族だと認識しながらもどんな関係性だったのかを具体的に意識しなくなり、人間としての思考を失っていく。  娘が中学生になる頃には、私はすっかりどこにでもいるただの猫になっていた。  あと十年か十五年か、その頃にはまたふたりを置いて旅立つことになるだろう。今度はただの一匹の猫として。  けれども悔いはない。私はひととしての最期よりもそれを捨ててまでこの結末を選んだのだから。  死ではなく、猫に至る病。それは未練であった。
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