猫はバズる

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 仕事が終わっても気分が晴れない。前までは、仕事が終わって家に帰れる瞬間は解放感に満ち満ちていたのに。からしを迎え入れてからというもの、一成の動画脚本に強制的に付き合わされている。それは私だけじゃない、からしもだ。  毎日毎日動画を撮って投稿して、文句を言われて。同棲する前に想像していたバラ色の生活は一体どこにあるのだろう。別に、日常を映して載せてくれるのは構わない。だけど、一成がやっているのはもはや創作だ。新しい猫用のおもちゃを買っては、からしが脚本通りの動きをするまでしつこく続ける。  昨日だって「猫のおもちゃのスポンサーがつくかもしれないんだから、退屈そうにさせるな」なんて言うからびっくりした。スポンサーも何も動画の再生数、13回なんですけど。自分の思っていたようにバズらないからイライラしているのだろう。  別れてしまおうか。そんな考えが頭をよぎる。でも、結婚を前提に付き合っていることは両親だって同級生だって知っている。五年も付き合ってるんだもん。今更別れたら、だめな気もして……。ため息が出る。頭が重い。とにかく、家に帰ってからしの世話をしなくちゃ。 「ただいま」  やけに重たく感じる玄関のドアを開けて、リビングに入る。リビングはおもちゃが散乱していた。からしは、尻尾をピンと立てて部屋の隅にいた。「みゃ」と鳴くと、今にも転びそうな足取りでこちらに歩いてくる。可愛すぎる。額を指先で撫でてあげると、気持ちよさそうに目を閉じていた。そんなからしを見て、私は思う。やっぱり、一成とからしのことについて話し合わなければならない。  一成はひとりで撮影をしていたのだろう。色々なおもちゃで遊んで撮れ高を作っていたのかもしれない。おもちゃをひとつずつしまっていくと、私はあることに気付いた。  ――紐のおもちゃの先がない。  気付いた瞬間、背中が粟立つ。もしかして、からしが食べた? 紐は噛み千切られた痕がある。まわりを見渡しても、千切れた先はない。この紐、どれくらいの長さだった……?  指先から嫌な汗がじわっと出てくる。からしは――今は変わった様子はない。寝室に向かい、寝ていた一成を起こす。 「一成! からしがおもちゃ食べちゃったかも‼」 「……あー、マジで?」 「おもちゃ片付けなきゃダメじゃん! おもちゃについてた紐の長さとか、覚えてない!?」  一成におもちゃを見せつける。私はもう泣きそうになっていた。もし、ある程度の長さを飲み込んでいたらお腹のなかで絡まってしまうことがあるって聞いたことがある。手汗が止まらくなってきて、私は無造作に汗を服で拭った。 「そんな焦るなって。紐の長さなんて覚えてないよ」 「……わかった。動物病院に行ってくる」  だめだ、埒が明かない。素人がここで色々話すよりが専門家に相談した方がいい。私はキャリーバッグを用意し、慎重にからしを入れた。一成はバタバタと起きてくる。 「彩、ちょっと待て。動物病院なら俺も行くから」  やっと事の重大さに気付いてくれたのかと、胸を撫で下ろす。 「うん、一成は車出してくれる?」 「え、ダメだよ。俺動画撮らないと。病院とか、病気とか、再生数上がるんだよ」  ――は?  頭に血が上る感覚をはっきりと感じた。まるで度数の高いアルコールを一気飲みしたかのようだった。そして、急激に冷めていく。それは体温じゃなくて、だらだらと抱き続けた恋心だった。 「今の自分の姿でも撮ったらいかがですか?」  私はキャリーバッグを抱え、家を飛び出した。
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