猫はバズる

1/3
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
「彩、同棲したら猫飼おうぜ」 「――嘘? ほんとに言ってる?」  デートの帰り道、一成からの思いがけない提案だった。いつも冗談ばかり言う一成の言葉に惑わされてはいけない。 「マジだって。いつか飼いたいって言ってただろ。同棲するんだからさ」 「うん、うんうん‼」  疑いながらも、私は大きく何度も頷いてしまう。喜びを隠せなかった。ふと、昔飼っていた猫の顔が脳裏によぎる。愛する彼氏と、愛しい猫との生活……ああ、バラ色の人生。今すぐこの場で踊りだしたい気分だ。 「それでさ、動画投稿サイトに投稿しようぜ。ミーチューブってあるだろ。猫ってバズりやすいらしくてさ、広告収入で稼ぐんだよ」  出た。またどっかで何か見てきたな。一成は「おいしい情報」とか「楽して稼ぐ」みたいな情報が好きだ。私もずいぶんそれには振り回されてきた。  大学の時に付き合って、社会人になった今でも一緒にいるけど、なんかアレなのだ。一成には「学生のノリ」ってやつがずっとある。今回の同棲だってそう、「結婚を考えてるから同棲したい」と言い出してから、すでに半年が経っていた。  だけどまぁ、いいか。私はまた大好きな猫と一緒に暮らせる。そのことを考えたら半年くらいの期間、気にするものじゃない。一成の動機がどうであれ、猫を大切にすることには変わりないはずだ。それに、言い出したら聞かないのもすでにわかっている。気分屋なのに、頑固者なのだ。 「動画かぁ。でも、猫を飼うならたくさん思い出を残していきたいもんね。わかった。私も協力する! じゃあ住むところはペット可のところ探さなきゃね。猫はどうする? ペットショップもあるし、里親から譲り受けたり、保健所から引き取るって方法もあるよ」  私は気が急って早口で話していた。一成はそんな私を一瞥するとふっと笑う。 「彩、バカだなぁ。猫には人気の種類があるんだよ。俺がちゃんと調べて、すでに決めてるから安心しろ」  一瞬、時が止まる。猫は決して安い買い物ではないし、安易な考えで飼うことはできない生き物のはずだ。……アパートのことは調べもしないのに、そんなことはひとりで決めるんだね。一成に悪気がないことはわかっている。けど、これからのふたりの未来を少しだけ心配してしまう自分がいた。  バタバタとアパートの契約をして、猫のために必要な物品を揃える日が続いた。ケージ、キャリーバッグ、餌はもちろん食器類も……。一成は「金がかかる」なんてぶつくさ言っていたけど、猫のために色々なものを選ぶのが私はとにかく楽しかった。  そして、今日はやっと猫に会える日。一成が家に連れてくるのを楽しみにしすぎて、休みの日なのに朝の六時から起きてしまっている。部屋の掃除を丁寧に、丁寧にしながら私はその時を待つ。  一成の車が止まる音が聞こえた。私は玄関を開けて、キャリーバッグを持った一成が歩いてくるのを見守る。 「ただいま。カメラ回すからちょっと待ってな」 「おかえり! うん、待ってる」 キャリーバッグが床に置かれると、カリカリと小さい爪の音が聞こえる。 「よし、いいぞ。彩は猫を出してくれ。初めてのおうちの瞬間だぁ」  カメラが私の背中で隠れないように気をつけながら、キャリーバッグの扉を開ける。扉からはクリーム色のスコテッシュフォールドの子猫が出てきた。 「――いや、待って。やだ。可愛すぎる!」  よちよちと歩くその姿を見た瞬間、私の脳内に幸せホルモンが大量に分泌されていく。もしかして精巧にできたぬいぐるみなのかもしれない。だって、こんなに可愛い生き物いるの?  遠巻きにその姿を見ているだけでも癒される。抱きしめたいけど、急には怖いよね。下唇を噛みしめて我慢をする。子猫はキャリーバッグのにおいを嗅いでから、部屋の散策を始めた。その様子を見守っていると、一成から注意が入った。 「ちょっと待って。彩、いっぺん子猫戻して」 「……え? なんで?」 「動画的に最初から子猫は人が大好きで……って感じにしたいんだよ。だから、彩の方に子猫が来るようにして」 「そんなこと言われても狙ってできないよ。猫の自然な姿を撮るんじゃないの?」 「いいから。動画は最初が大事なんだよ」  一成はぶっきらぼうに猫を掴むと、キャリーバッグに戻した。「ミャア」と弱々しい鳴き声がする。一成、機嫌悪くすると長引くから嫌なんだよね……。子猫に申し訳ない気持ちを抱きながら、私は再度キャリーバッグの扉を開ける。  子猫はまたすぐに扉から出てきて、私のところまで歩いてきた。ああ、良かったと思っていると、子猫は私の膝に前足を置いた。やわらかくて、あたたかい肉球の感触が直接伝わってくる。 「ねぇ、この子の名前はどうするの?」  これだけ可愛いんだ。名前も最高のものをつけないと。姓名判断や、いっそ占いを頼るのもいいかもしれない。私はそう思いながらも、一成にお伺いを立てた。 「からし」 「は?」 「からしだって。他の猫系動画と名前が重ならないようにしないといけないから。子猫の毛色もからしっぽいだろ。和風で食べ物、今そんな名前が流行ってるんだ」 「そ、そうなの」  別にネーミングセンスは否定しない。だけど、名前の付け方ってそんな選び方でいいのかとまた私の気持ちはもやっとした。一成と私の猫に対する思いにはだいぶ差があるのを一日目ですでに感じてしまっている。子猫――いや、からしが幸せになればそれでいいのだ。私は自分の思いを強引に胸の奥にしまう。 「うん! からしって可愛い名前だね‼」  同棲をし始めてすぐに喧嘩をするなんて、だめだよね。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!