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翌日、帰りしなに電車でニュースサイトを開くと、昨日僕が協力した署名活動の記事が書かれていた。SNSを開くと、もっぱらサブスクねこの話題で盛り上がっている。どうやら、今回の炎上で逆に知名度が上がり、利用者が増加しているらしい。由々しき事態だ。
電車を降り、自宅マンションまでの道を歩く。サブスクねこに利用されている猫たちのことを考えると、また沸々と怒りが湧いてきた。自然と歩く速度が上がる。サービス会社に抗議のメールを送ってやろうか……いや、直接電話した方がいいな。向こうがおかしなことを言ってくるかもしれないから、録音もしよう。頭のなかで自分にできることを少しずつ組み立てていくと、いつもより早くマンションに着いた。郵便物の確認をしようとした時、宅配ボックスから猫砂を取り出している中年の女性と鉢合わせた。
「……こんばんは」
「はい、こんばんは」
女性は宅配ボックスを閉めると、両腕で猫砂を抱えた。鉱物系の猫砂なので、重いはずだ。
「良ければお持ちしましょうか?」
「あら、ありがとう。でも少しの距離だから大丈夫よ」
差し出した手が手持ちぶさたになり、気まずい思いをしながら引っ込める。
郵便物の確認をすると、何も入っていない。足早にエレベーターの前まで行き、ボタンを押す。女性は僕の横に立つと、機嫌が良さそうに猫砂の袋を撫でた。
「それにしても、本当に便利な時代になったわよね」
「ああ、宅配ですか。家のなかで買い物できるのはありがた――」
返事を返しきる前に、猫砂に貼られている送り主の文字に気付いてしまった。そこには「サブスクリプションキャット」の文字。
「サブスクねこ……」
そう呟くと、女性は嬉しそうに微笑んだ。
「あら、知っているの? 本当に便利なのよ。飼育に必要なものは一式送ってもらえるし。私みたいに男手がいない家は大助かりで」
この女性は何も知らないんだな。こんな猫のことを何も考えていないサービスを利用しているなんて。
「あの、こんなこと言いにくいのですが……サブスクねこは悪いサービスとネットで炎上していますよ。僕も猫を飼っているので、猫を飼いたい気持ちはわかるのですが利用するのはおすすめしません」
女性は驚いた表情をする。
「あら、そうなの。でも、私はこれが悪いサービスだとは思わないから。教えてくれてありがとうね」
わざわざ忠告をしたのに飄々とした態度にムッとする。
「猫が可哀想だと思わないんですか? あなたはそうじゃないと思いますが、飽きたら猫をチェンジできるとか、返せるとかそういうのって異常だと思います。命をバカにしてるというか、飼う責任みたいなものが足りないというか」
少しの間、無言が流れる。エレベーターが一階に降りてきたが、僕は乗らなかった。
女性は大きくため息を吐くと、猫砂を足元に置いた。
「あのね、何を勘違いしているかわからないけど……批判するならちゃんと調べてからにしてくれない?」
「知ったうえでお話してるんです。そちらこそ、サブスクねこ利用者のインタビュー動画は見ましたか? 派手な女性が無責任に子猫を取っ替え引っ替えして飼っているんです。あまりにも猫が可哀想じゃないですか」
あの派手な爪を思い出すと、飼われている子猫を不憫に思った。
「ああ、アユミさんのことかしら。彼女はすごい人よ。私も猫が好きだけど、あそこまでのことできないわね」
「なにがすごいんですか。猫への愛なんてまるで感じない」
「……本当に何も知らないのね。彼女の名誉のために教えるけど、アユミさんが飼育している子猫はみんな色々な問題を抱えた子よ。重篤な病気の子、早くに捨てられて人に懐かない子、三時間ごとにチューブを口から胃に入れて、ミルクを飲ませてあげなければならない子もいるわ。普通の家庭では飼えないような子をアユミさんは引き受けてくれているの。子猫は元気になったら、他のサブスクねこ利用者の家にいくのよ」
予想もしていなかった返答が来て、思わず息を呑む。
「なんで彼女がそんなことを……。そんなに大変な猫なら、病院に入院させた方がいいんじゃないですか?」
「……サブスクねこにいる猫たちは保護猫よ。保健所にいた猫、捨てられていた猫、虐待をされていた猫……問題がある猫は譲渡先も見つかりにくい。譲渡先がない猫はどうなるかわかる?」
「……殺処分されます」
僕が答えると、女性は話を続けた。
「そう。ただ、保健所から譲渡してもらうにも条件が必要よね。私みたいな独り身では難しいし、私より年上の人だったら猫より自分が先に死ぬかもと思うと、とても猫を飼えないと思ったりするの。たとえ飼いたくてもね。『猫をみんなで飼う』のがサブスクねこのいいところなの。毎日の猫の状態の報告は必須だし、もし報告してなければ確認の連絡が来るわ。このことで独り身の高齢者も安心できるし、飼うためのハードルを下げることで殺処分される猫を減らすことができてるのよ」
知らなかった情報ばかりで、嫌な汗が背中に流れる。
「……でも、猫は同じ飼い主のところにいたいって思うんじゃないですか?」
苦し紛れにした質問に、女性は小さくため息を返した。
「たいていの利用者は同じ猫を飼い続けるわ。うちもそうだし。だいたい、あなた猫の気持ちを代弁しているみたいに話すけど、猫と話すことでもできるの? 本当に猫のことを考えるなら、ネットだけの情報に頼らないで自分の目で見なさいよ」
女性はそう話すと猫砂を持ち上げ、エレベーターに乗り込んでいく。
エレベーターの鏡のなかには、赤面した僕がぽつんと佇んでいた。
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