序章 syringa vulgaris

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 syringa vulgaris 見つけたよ、お母さん、私色のリラの花。ほら、風に舞ってふわふわと――  少女は既に壊れかかっていた。まるで夢幻の世界に包まれているような心地。辺りの怒号や雑踏も消えている。ミンストレルソングだけが響いていた。極限の恐怖に直面した少女の脳が、逃避の道を模索し始めたのかもしれない。  空は太陽の周囲だけが仄りと黄みがかり、透けるように淡く、青く広がっていた。少女はその空を見つめながら微笑んでいた。このような状況の中、その口元は綻んでいた。四肢は屈強な男達に抑えつけられている。寝返ることすらできない。 「見たかっ! 色情狂の魔女が本性をあらわしやがった!」  男の中のひとりが、少女の唇を指差しながらまくし立てた。その表情は勝ち誇っていた。辺りに一層の歓声が湧き上がる。  どろりとした粘液にまみれて微笑えむ少女。その表情が男達には艶然としたものに見えている。彼らは裸の少女に精液をふりかけていた。それも順番待ちをしながら次々とだ。この時代の人々は、これを魔女の浄化と呼んだ。  人々がなぜ、このような行動をとるようになったか。これには色々な説がはびこるが、どれも納得のいくものはない。歪んだ性癖を正当化させるためにこじつけられた説。理由などないのだろう。  単純に考えれば相手は魔女。その魔女と交わるなどとんでもない。何をしてもいいと言われても、それだけは許されない。これは暗黙の了解。それ故の行動なのだろう。  見上げる少女の視線の先には花が舞っていた。ライラックの花だ。ふわふわと浮かぶそれが、少女には妖精のように見えていた。五枚羽の小さな小さなフラワーピクシー。  もしも見つけた時は誰にも言わないでね。黙って飲み込んで祈りましょう。願いは叶うから。愛する人と永遠に一緒でいられるの――  亡き母の言葉が少女の感覚を満たしていた。幼い頃、母に手を引かれて散歩したリラ街道。お話をよく聞かされた。  通常は先が四枚に分かれているライラックの花。稀に五枚に割れている花が見つかることがあるという。幸運が訪れたら唱えよう。祈りの白魔法。  これが幻なのか現実なのかはわからない。しかし少女には見えている。リラの花は、気持ちよさそうに少女の真上を泳いでいる。円を描き旋回していた。  駄目なんだ。誰にも言っちゃ駄目なんだ。そう少女は心の中で、何度も呟いていた。
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