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「”ねこ専門”画家、ねこを語る」
つい口に出してしまったネットマガジンの見出し。先日受けた取材はこのためかと思いながら文字を追う。
『知る人ぞ知るねこ専門の画家、坂下稔(サカシタミノル)にねこの魅力について思う存分語ってもらった――』
その一文から始まる記事を一通り読んで顔を上げた。好意的に書かれているとわかるものだったが少しひっかかる。
「知る人ぞ知る、な」
そりゃ、みんなが知っている有名画家じゃありませんよ。偏屈になる心を押さえつつ、しかし、忘れずにSNSでシェアして、ついでに最近描いた絵も投稿する。一通り終わるとスマートフォンを机に置き、筆を持つ。休憩は終わりだ。
ねこ専門画家。ねこばかりを描いている俺にいつのまにかついていた肩書だ。学生時代にたまたま評価された絵がねこを描いたもので、そのままずるずると自分のスタイルにしてしまった。そのおかげでねこ好きにはそこそこの認知度を得ているが、そこそこの域を出ない。絵だけでは食べていけず、絵画教室の講師の仕事もしていた。
場所を借りて個展を開いたりもしているが、新しく来てくれる人も少なくなり次に繋がらなくなってきた。
そろそろなにか新しいきっかけが欲しい。そう考えながら筆を動かす日々が続いている。
日が眩しくなり顔を上げた。部屋中に飾った猫の置物やぬいぐるみが朝日を浴びて光っている。
「お腹すいた」
いま何時だ、とスマートフォンを手に取る。ホーム画面のアナログ時計は午前6時を差していた。徹夜してしまったらしい。冷蔵庫の中から昨日の夜にコンビニで買ったおにぎりを取り出す。冷たいが空腹は紛れる。麦茶を一口飲んで、布団に潜り込んだ。
玄関の呼び鈴がなる音で目が覚める。通販で買った日用品の発送メールが来ていたのでそれだろうと当たりを付けて部屋着のままドアを開けると、小学生と10代後半くらいの少年が立っていた。顔立ちが似ているので兄弟だろう。
「どちら様?」
なにかまずいことに巻き込まれるのではないかという不安を抱えながら、すぐにドアを閉められるように身を少し引いて尋ねる。
すると、兄と思われる少年が口を開いた。
「久しぶり。稔さん。麻木修斗です」
「え? 修斗?」
身構えたぶん拍子抜けする。修斗は姉の息子の名前だ。最後にあったのが8年前。その時に9歳になったと話していたから、歳のころは合う。そして姉にはもうひとり、当時産まれたばかりの息子がいた。小学生の方の子の顔をもう一度見ると、幼い頃の姉にそっくりだ。
「遥汰、挨拶」
修斗に促されると、小学生、遥汰は勢いよく手を挙げて息を吸い込む。
「麻木遥汰です! はじめまして!」
そして遥汰は背負っていた体に対してやけに大きなリュックサックから大判サイズの本を取り出して俺に向けた。よく見なくてもわかる。俺が出した画集だ。遥汰はおおよそ画集とは思えない程度に表紙がよれているその本を大事そうに抱え直すと、俺を見上げてまた大きく息を吸った。
「稔おじさん! ファンです!」
近隣に響き渡る声で俺のファンを自称した遥汰は満足そうに笑って画集をリュックサックにしまう。
「え、あ、ありがとう。とりあえず、上がって。汚いけど」
動揺を隠しきれずに声が震える。まさか自宅の前で、小学生の甥にファンを名乗られるとは思っていない。
ふたりを、唯一お客さんを入れられるレベルで片付いている客間に通す。着替えて、飲み物用意して来るね、と言って客間を出て廊下を歩きながら、メッセージアプリを確認する。やはり姉から連絡が入っていた。
『修斗と遥汰が会いに行きたいって今日空いてる?』
送信時間は約3時間前。その下ににまたメッセージが続いている。
『ごめん、少し目を離したらふたりで行っちゃった。住所は知ってるから迷うことはないと思うけど。予定あったら帰らせて』
最後まで読むと、今来たから晩御飯までには帰すと返事を打って、部屋着のジャージからジーンズに着替える。飲み物は貰い物のリンゴジュースが冷蔵庫に入っていたはずだ。
「姉さんに連絡取ったよ。勝手に来ちゃったのか?」
ふたりのいる部屋に戻ってすぐそう言うと、遥汰が口を尖らせながら、だっておじさん返信遅いんだもん。と答えた。
「稔さんが今日家にいるのはSNSみて知ってたから」
修斗がスマートフォンの画面を見せてくる、表示されたページは昨日の夜に俺が投稿した明日は休みだという旨の呟き。普段は描いた絵や告知ばかりで日常的なことはめったに投稿しないが、昨日公開されたネット記事を紹介した時に、気分が乗って連続投稿したうちのひとつだ。こんなことで甥が家にやってくることになるとは。
「まぁ、せっかく来てくれたんだし。ゆっくりしていきなよ」
「ありがとう! 稔おじさん」
「でも、俺に会いにって、何しに来たの?」
俺が問いかけると、遥汰がそう! と小さくはねる。そして、リュックサックからまた画集を取り出して、テーブルに置いた。
「あのね。おじさんに絵の感想を言いたくて来たんだ」
そう言ってページをめくると、ページごとに付箋が何枚も貼ってある。
「感想忘れないようにメモしてきた! まずね! この寝てるねこと紅葉の絵なんだけど……」
そこから遥汰はページをめくりながら、絵の感想を語りはじめた。
「この絵をみるとね。僕が漢字テストで良い点数取ったときみたいな気持ちになるんだ」
「嬉しいってこと?」
「うん! 嬉しくてドキドキする感じ!」
むずむずするほど真っすぐな称賛の言葉が向けられて居心地が悪い。それと同時に、久しく聞いていない、評論ではなく、純粋な絵の感想に心が踊った。本当に俺の絵をしっかりみているのが分かる。時折、誰にもわからなくていいと思っていたこだわりまで言い当てられて驚いた。
遥汰はそうやって一枚一枚に丁寧に感想を言っていき、最後のページを閉じると満足げにリンゴジュースを飲み干した。
「ありがとう。遥汰にこんなに言ってもらえるなんて嬉しいよ」
「おじさんの絵がすごいんだよ! おじさんの絵はね、僕ができないことを叶えてくれるんだ!」
できないことを叶える、どういう意味だ。真意を尋ねようと口を開くより先に、遥汰の腹の虫が大きく鳴った。思わず部屋に置いていた時計を見ると、13時近い。ふたりが来たとき11時過ぎだったはずだ。2時間近くも話していたのか。
「お腹すいたね、ピザでも頼む?」
打ち合わせをすることもある部屋なので出前のメニュー表も置いてある。棚からピザのものを取り出してふたりの前に出した。
「ピザ!」
「好きなの選んでいいよ、サイドメニューも頼もう。何がいい?」
小さなファンの前でいい格好をしたくなりそう言うと、遥汰の顔が輝く。ずっと黙って聞いていた修斗の口元も綻んだのも感じた。
「え! じゃあ! みみにチーズ入っているのでもいい? あとポテトも!」
「いいよ」
「やったー! ありがとう」
大喜びの遥汰と嬉しそうな修斗が選んだ四種類が一枚になっているピザとポテト、あとコーラも注文した。
電話注文を終えると、遥汰がトイレ貸してというので案内して先に部屋に戻る。すると、修斗が遥汰の付箋付き画集をぺらぺらとめくっていた。修斗は俺が戻ってきたことに気がつくと、顔を上げる。目が合うとたっぷり五秒間、無言で俺の顔を見て、そして口を開いた。
「稔さん、ねこ触れないでしょ」
一瞬呼吸をするのを忘れてしまった。黙っている俺に、修斗は話を続ける。
「ねこのグッズとか、写真とかそういうの飾ってあるから。ねこが嫌いってわけじゃないんだろうけど。ねこは触れないよね」
修斗の表情にからかってやろうとかそういった悪意は感じられない。あくまで淡々とした口ぶりだった。俺は平常心を装いつつ、声を搾り出す。
「なんで、わかったの」
「なんとなく、絵をみてて。遥汰は気がついてないよ。一応おばあちゃんとおじいちゃんにも聞いたけど、みんな気がついてない。ネットの評論とかもそうやって言われているのは見たことない」
そこまで言われて、少し落ち着く。ねこ専門の画家がねこを触れないなんて、いいネタにされてしまうし、ねこ好きのファンに対する裏切りだと、ずっと後ろめたさを感じているのだ。
「ねこ、怖いの?」
「いや、そういうわけでは、ないと、思う」
ねこは大好きだ。グッズも買い集めるし、ねこ動画を見ることは日課のようになっていた。実際に触れ合いたくて今まで何度も挑戦していたのだが、なぜか触れると悪寒というか、背筋がぞわぞわとして手を引っ込めてしまう。アレルギーもないし、触れなければ大丈夫なのだ。この感覚の正体がわからなくてねこに触れないでいた。
「なんでかわからないからさ、今のところ修斗以外にばれてないし。大丈夫だよ」
そう続けると、修斗は少し考えるように口をつぐんで俯いた。テーブルの上の画集を指先でそっと撫でると、頷いてこちらを向いた。
「稔さん、ねこが触れるようになれば、もっとすごくなると思う」
「ん?」
「稔さんがねこに触れるようになるための特訓しよう」
「特訓?」
聞き返すが、それと同時に遥汰が戻ってきて話を変えざるをえなくなってしまった。
その後、ピザを食べていても、遥汰の話を聞いていても、修斗の言葉がちらついて集中しきれない。
また修斗とふたりで話せるタイミングがあるかと思い、見計らっていたのだが、そのタイミングも訪れず、ふたりは帰って行った。
ふたりを見送り、グラスを片付けようと客間に戻ると、テーブルの上にメモ紙が1枚置いてあった。
『特訓、興味あったら連絡して』
整った字でかかれた一言と、メッセージアプリのIDと思われる英数字の羅列。俺は迷わず、メッセージアプリを起動した。人に頼るのは少し悔しい気もするが、欲しいと思っていたきっかけはこれかもしれない。
翌週の日曜日、今度はひとりで俺の家にやってきた修斗は、少し荷物が多かった。中身のほとんどは衣服のようで、修斗はそれらの荷物の中から小さいバックを取り出して、それに財布とスマートフォンだけを入れて後は部屋の隅に置いた。
「それは、特訓に関係あるの?」
「ないよ、オレが必要なだけ。これからでかけるけど大丈夫?」
「え、どこに?」
「ねこカフェ」
連れて来られたのは最寄り駅の少し奥まったところにある、保護ねこカフェだった。
ねこカフェ自体初めてくる俺は、完全に挙動不審で、修斗と店員に促されるまま席に着く。
「まず、近くに来てくれたねこから少しずつ慣れていこうよ」
撫でたりするより、まず遊ぶ。そう言って、修斗は貸し出しているねこのおもちゃを俺に渡してきた。
しばらく、遠目にねこ達を眺めていると、キジトラのねこがそろそろと近づいくる。
「あ。来たよ」
修斗はねこの近くに指を少し丸めて近づける。ねこがその指を嗅ぐような仕種を見せた。
落ち着いた様子のそのねこは、今度は俺の方に近づく。
「稔さんもやってみたら」
おそるおそる修斗の真似をして指を丸めて近づける。湿った鼻の感触がむずがゆいが、今までの背筋がぞわぞわする感覚はなかった。
触れたのが指先で、鼻だからだろうか。
首もとに目をやると、みたらしとネームタグがついている。
「みたらし、遊ぼう」
修斗がおもちゃを振りながら向けると、みたらしは興味を持ったようで腕を伸ばして掴もうと小刻みに動かしはじめた。
その日から月に2、3度、修斗とそのねこカフェに行くようになった。最初のうちはねこと同じ空間にいることになれることから始めて、少しづつ距離を詰めていく作戦だ。この特訓という名のねこカフェ通いを続けて3ヶ月。みたらしや他のねことの距離も縮まってきて、今ではおもちゃで遊べるようになった。猫のそばにいることに慣れたら、短い時間だけなら違和感なく撫でることもできるようになった。
そして、少しづつ俺の周囲も変化してきた。まず、SNSのフォロワーが増えてきたのだ。1ヶ月前に投稿した絵が評価を得て爆発的に拡散されたのが要因で、ねこカフェ通いを始める前の2倍以上になった。
加えて、取引先の画廊の反応が確実に良くなってきた。先日、たまたま俺の絵を見た美術館の館長に、12月締め切りの美術館主催のコンクールに作品を出さないかと誘われたのだ。これはいい流れが来ている。
そう感じていた10月の始め、姉が修斗を連れて怒鳴り込んできた。
「私はね、稔のこと応援してるのよ」
遥汰が絵の感想をキラキラした笑顔で語ってくれた客間で、今度は姉が冷えきった目をしてこちらを見ている。
「何の話でしょうか」
思わず敬語になる。10歳以上離れたこの姉にはもともと頭が上がらないし、これだけ怒っているとどうすればいいのかわからない。
「修斗をねこカフェに連れていったでしょ」
「え、うん」
それがどうかしたのだろうか、不思議な顔を隠すことなくしてしまった俺をみて、姉が眉をひそめる。
「まさか。知らなかったの?」
そう言うと、今度は修斗の方を睨みつけた。小さくなっていた修斗はか細い声で言ってないと囁く。姉は大きくため息をつくとごめんねと一言謝った。
「あんた悪くないわ。けど言わせて。遥汰ね、アレルギーの発作で入院した。もう回復してるけど」
その言葉に、背筋が凍った。アレルギー、ねこカフェ。いつも着替えを持って来ているようだった。それらを複合して行き着いた答え。思わず修斗の方を見ると、消えそうな声でごめんなさいと呟いた。
「遥汰はねこアレルギーよ。かなり重いからうちはねこ一切禁止」
「ごめん。本当に……」
「知ってると思ってたわ。今後は気をつけてちょうだい」
深くため息をついた姉はソファから立ち上がる。そして、修斗を連れて帰ろうとするので、思わず呼び止めた。
「修斗と話をさせて、ふたりで」
姉は頷いて、車の中で待ってると修斗に言って出て行った。いつもは割とよくしゃべる方の修斗が黙っている。
「ごめんな」
俺がそう言うと、修斗は大きく首を横に振る。
「オレが悪いんだ。いつも服全部取り替えて、コインランドリーで洗濯してたんだけど。寒くなってマフラーやるの忘れて、それを遥汰が、つけちゃって」
「そうか。でもなんで俺の特訓しようって思ったんだ?」
努めて責めてるようにならないように、優しく問い掛ける。修斗は俯いたまま動かない。
「俺の絵の出来よりも、遥汰の体のが大事だろ?」
そう続けると、修斗は勢いよく顔を上げて、ぽろぽろと涙を流しはじめた。
「違うんだ、遥汰のためなんだ。ごめんなさい。稔さんのためじゃない」
「どういう意味?」
「遥汰はねこが大好きなんだ。でも……」
修斗は呼吸を整えて俺のことを見据えた。
「稔さんの絵を通してじゃないと猫とふれあえない」
真っすぐな目が俺を射抜く。
「それが、たとえねこが触れない稔さんの描いた絵でも、遥汰のねこは稔さんの絵がすべてだ」
修斗はそういうと、ご迷惑をおかけしました。と言って俺の横を通り過ぎようとした。このまま行かせてはいけない。そう思ってとっさに腕を掴む。
「ありがとう。修斗。もうねこカフェには一緒にいけない。それは分かるね」
「うん」
「でも、約束するよ。俺は最高のねこを描くから」
言いたいことを言って腕を離した。修斗は一礼して部屋を出て行った。
去っていく車を見送りながら、ここが正念場だと、俺は理解した。
年が明けて春になった。俺は修斗と遥汰を連れて、美術館に来ていた。誘われたコンクールの結果が出たのだ。
「おじさんの絵、どこに飾られてるの?」
コンクールの入賞作品を順に見ていきながら、遥汰は尋ねた。
「お楽しみ」
俺がそう答えると、答えを知っている修斗が笑いを噛み殺す。佳作、奨励賞や協賛賞と順に見ていくにつれて、遥汰の顔がだんだん曇る。
「おじさん、本当に飾られてるの? もうそろそろ最後だよ」
「大丈夫だって、行くよ」
そう言って、遥汰の手を引いて最後の展示室に入る。曇っていた遥汰の顔がみるみる晴れ渡った。
「おじさん、これ!」
入選作品の一番目立つところに飾られた俺の作品は最優秀賞だ。少年がねこを抱えて微笑む絵。姉に頼み込んで遥汰の写真をもらって描きあげた。
「遥汰、モデルになってくれたお礼は何がいい?」
絵を見上げる遥汰に声をかけると、遥汰は目を丸くして俺を見てそして笑った。
「ねこのいいところもっと教えて!」
「……おう! これからもっといろんなの描くから見てろよ」
遥汰の頭を少々乱暴に撫でる。小さく笑い声をあげる遥汰の横で、修斗が小さくありがとうといったのを俺は聞き逃さなかった。
「こちらこそ、ありがとうな」
俺がそう言うと、修斗は一瞬驚いたような顔をすると、俺を見上げる遥汰と同じ顔で笑って、何のこと? と答えたのだった。
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