終章

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終章

 猫の話で有名なシュレディンガーは、他人の妻を妊娠させたことがあるという。  その人妻の夫は、生まれてきた子供のことをどう思ったのだろうか。  そしてその子供は、結局どうなったのだろうか。    そんなことを考えながら、私はバスを降りた。融けた雪でぬかるんだ道を、家に向かって歩く。  昨日の大雪が嘘のように、空は快晴だった。  私は抜けるような青空を見上げながら、先ほど聞いた友人の話を思い返していた。 「シュレディンガーの猫の話はさ、パブロフの犬とかとは違って、べつに本当に動物使ってそういう実験したわけじゃないんだよ。『お前の理論が正しいなら、もしこういう実験したら猫は確かめるまでは生きてる状態と死んでる状態が重ね合わさってるってことになるけど、そんなことあるわけないじゃーん』って言うためのただの喩え話なの」  それはそうだ。  確認しようがするまいが、結局は生きているか死んでいるか――そのどちらかなのだ。  冷静になってみれば、当たり前の話だ。  私が確認するまでは生きている状態と死んでしまった状態の重ね合わせになっていて、私が確認した瞬間に死へと収束してしまうだなんて、そんなことあるわけがないのだ。  友人からシュレディンガーの猫の真相を聞いた後、私は家に電話をかけた。  電話に出たのはやはり父で、私が妹にかわって欲しいと頼んでみると、様子を見に行ったらしい少しの間の後、ようやく熱が下がって今はよく寝ているからと断られた。  妹の声を聞くことは、結局できなかった。  しかし、もし父が妹を病死に見せかけて殺すつもりでいたなら、雪で救急車が呼べなかったと言い訳できる昨夜のうちに実行しただろう。そしてその場合、さっきの私の電話に対して、妹が元気になったかのように装う理由はなにも無いはずだ。  だからきっと、全ては単なる私の妄想で、杞憂だったのだ。  中の見えないクローズドサークルが開かれた時、そこに死者はいない。  箱の中の猫は、きっと元気だ。  それを確かめるために、私は歩く。  家は、もうすぐそこだ。
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