二人の足跡の上に時が降り積もる

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「歳をとると、涙もろくなっちゃって」 「美味しいものを食べたら、誰だって涙くらい出るさ。さあ、スープを飲んで」 「ええ。スープもとてもおいしい」  ゆっくりと、ゆっくりと。  柔らかいパンと温かいスープを食べてから、ユアヌはカトレアナの背中に手を回し、そっとベッドに横たえた。  ユアヌはエルフで、カトレアナは人間。二人は幼いころに出会い、同じ町で共に育った。やがて当然のように恋に落ちる。  種族差が大きな障害になると分かってはいたけれど、二人は離れることができなかった。そしてカトレアナが二十歳の時に結婚した。  ユアヌは冒険者になり、カトレアナは町の食堂で働く。その頃二人が住んでいたのは町の中で、毎日が平和で楽しかった。 「ほら、見て。カトレアナ」  ユアヌは町で買った花を取り出した。  小さなピンクの花が枝いっぱいに咲いている。    「名前は何だったかな」  「プリマベーラ」    可憐な花だった。 「なんていい香り」 「香りが届くように、ベッドのそばに置いておこう」 「ほんとうに素敵。ありがとう、ユアヌ」  カトレアナは嬉しそうに花を見て、それからうつむいた。  ユアヌは優しい。今でも、出会った頃と変わらずにずっと。 「だめね、私。本当に涙もろくなってしまった……」 「いいんだよ」  ユアヌは美しい絹のハンカチを取り出して、カトレアナの頬を拭いた。  そう。本当にいいのだ。歳をとるのは自然なことだ。  涙が出るなら、拭えばいい。  ユアヌとカトレアナの生きる時間の違いが目に見えて分かるようになったのは、カトレアナが四十を過ぎた頃だった。  二十歳をすぎた頃から見た目が全く変わらなくなったユアヌ。それに比べて年々しわが増えて老いを感じるようになったカトレアナ。やがてカトレアナは塞ぎがちになり、家から出ることも少なくなった。  カトレアナが食堂の仕事をやめても、生活に困ることはない。ユアヌの冒険者としての実力は高く、歳を経るにしたがってますますその能力は上がっていったから。  けれどカトレアナが五十を過ぎた頃にはもう、誰が見ても不釣り合いな夫婦に見えて、そのことがカトレアナの心を傷つけた。  家から出られなくなったカトレアナのために何が出来るだろう。ユアヌがさんざん考えた結果、思いついたのが森に住むことだった。  ほんのちょっと森の中に入っただけでも、もう人と会うことはほとんどなくなる。家は二年の月日をかけて、仕事の合間にユアヌが作った。小さい家だったが、庭は貴族のお屋敷ほどに十分広く、その外を結界で覆った。結界はユアヌの魔法で維持されて、その内側には魔物を通さない。  カトレアナが六十になった年、二人は闇の森の家へと引っ越した。  森の中の小さな箱庭のような世界で、ようやくカトレアナは息をすることができた。  カトレアナは結界からは一人では決して出ない。その代わり庭にたくさんの花を植えて、野菜を育てて。夜は家で織物を作り、ユアヌがとってきた魔物の素材を加工した。  カトレアナが作ったものをユアヌが町に売りに行き、代わりに食べ物や花の種を買う。  小さいけれど幸せな二人だけの家。  そこでカトレアナはゆっくりと老いていった。
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