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 事件はその2日後に起きた。  フリーになった吾輩は、Mの一件でモヤモヤしてた気持ちを吹き飛ばしたくて仕方がなかった。  こういう時は友達と一緒にカラオケに行くに限る。  大きな声でピリカピリララと発散すれば、大概の憂鬱は吹き飛ぶものである。  吾輩は放課後、隣のクラスのクロちゃんを誘いに行った。  彼女は人間の中で唯一、吾輩が心を許せる存在である。  フルネームが黒子黒実(クロコクミ)なのでクロちゃんと呼ばれている彼女は、吾輩と同じように、名前のせいでどこぞの芸人のネタを振られることがあるという。  ホント嫌になっちゃうよね、ということで意気投合した吾々は、人間の社会について愚痴り合う仲になった。  通学カバンにつけた、三毛猫と黒猫で柄違いの御揃いキーホルダーは、吾々の友情の証である。  教室の一番窓側の席に座っているクロちゃんを見つけ、吾輩は大きく右腕を振った。  しかしクロちゃんは小説に夢中で気付かぬ様子である。  吾輩はすぐ近くまで歩み寄り、この前嫌なことがあったからストレス発散に付き合ってくれないか、と両手を合わせた。  しかしそれでも吾輩の声は届いた様子が無い。  はて、耳にイヤホンでも差しているのかな、と吾輩は顔を覗き込んだ。  聞こえていないのではなかった。  クロちゃんの目は細かく動きながら、視線を一生懸命に反らしていた。  口元はキュッと結ばれ、眉間には少し皺が寄っていた。  そこでようやく、吾輩は周囲の視線に気づいたのである。  それは他者を嘲る目。  生徒たちは指さししながら小さく耳打ちをしていた。  吾輩の格好に可笑しなところでもあるのかと疑い、慌てて確認した。  だがシャツのボタンは掛け違えていないし、スカートが捲れてもいないし、靴下は両方揃っているし、尻尾が生えてきてもいない。  視線の原因は容姿ではない。  訳が分からずドギマギしていると、視界の隅に一人の男が映った。  それは、ニヤニヤしながらこちらを見ている、Mであった。  不覚。  そういえば、このクラスはMの所属しているクラスだった。  となれば事態は飲み込める。  彼は吾輩を自分からフったのだと嘘を吹聴するために、在りもしない吾輩の悪い噂を流したのだ。  あの女は最悪なやつだった。だから俺から振ってやったんだ、と。 「あんなことしといてよく平気な顔して来れるよね…」 「猫被ってるタイプ、俺無理だわ…」  次第に耳打ちの内容が鮮明に聞こえるようになる。  この場で訂正したかったが、それはきっと無理だ。  Mには人望がある。  一方吾輩はというと、Mを独り占めしたとかでここのところ女子からの嫉妬を買っていた。  不満を爆発させるだけの起爆剤がそろった今、吾輩の言葉に耳を傾ける人間は、このクラスにはいないだろう。  別に、Mやその信者たちから恨まれようとどうだっていい。  本当に悲しかったのは、クロちゃんがM側についたことだった。  唯一、信じられる人間だと思っていたのに。  まったく、人間ほど不人情なものは無い。  吾輩は、風に吹き飛ばされたようにその場から立ち去った。  廊下を早足で駆け抜けていった。  顔を下に向けたまま、スタスタと。  顔を上げれば、通り過ぎるそこの女子やあそこの男子も私のことを指さしているんじゃないかと思ってしまった。  結局吾輩は、そのまま誰とも顔を合わせず学校から出て、白んだ空の下、一目散にカラオケ店へと向かったのである。  カラオケボックスに一人入った吾輩は、通学カバンを下ろすとすぐに、曲目を入力した。  いつものおジャ魔女どれみのオープニングテーマではない。  中島美嘉の曲を適当に3曲ほど入れてやったのだ。  吾輩はマイクを手に取り、声高らかに、叫ぶように歌った  ♪舞い落ちてきた冬の華が、窓の外ずっと降りやむことを知らずに、僕らの街を染める♪  どうだ、今、中島美結が中島美嘉の曲を歌っているぞ。  こんな光景を見れるチャンスはもう二度と無いのに、お前たちは、くだらない嘘話を信じ込んだせいでそのチャンスを逃したんだ。  ざまあ見ろ。  吾輩は、頭の中に思い浮かべたクロちゃんや他の女子たちの背中に指を突き付けながら、嘲笑うように熱唱した。  これまでのどんな歌よりも力を込めて、喉の奥からすべてを振り絞って。  きっと、今頃Mはまたいろんな生徒に吾輩の悪い噂を流しているんだろう。  狭い学校だ。  噂はあっという間に広がる。  明日には吾輩のクラスにも届いているだろう。  そうやって意地悪くニタついたMの手の上で学校の生徒たちは踊らされていくんだろう。  嗚呼、人間社会のなんとくだらないことか。  しかしまあ、それはさておき中島美嘉も案外悪くないものだ。  思い入れも何も無いのに、歌っていると思わず熱い涙がこぼれてきた。  それはきっと、この曲が心に響く名曲だからだろう。  これまでずっと敬遠してきたが、ファンになってみるのも悪くない。  吾輩はそんなことを考えながら、かれこれ2時間、声がかすれるまで独りカラオケを満喫したのだった。
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