表舞台に立ってはいけない

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表舞台に立ってはいけない

 いつも笑っているような目が陰りを帯びている。 「昨日、連絡会だったよね」  手の中のファイルを開いてみせれば、何を言いたいのか察した目が上がる。 「新情報は出た?」 「知ったところで、どうにもならないけど」  珍しく投げやりな口調だ。 「でも、知らなければ始まらないよ」 「……そうだね。午後は空いてる?」 「訪問が1件入ってるから、……2時くらいなら」 「了解。3号会議室を押さえておく」  さっそく立ち上がって、担当保健師に声をかけている背中を見送る。    落ち込んでいても、仕事の手は抜かない。  多くの人を巻き込んで、見守り体制を整えることにかけては、右に出る者はいない存在だ。  だからこそ、傷ついているんだろう。  把握していたのに、取りこぼしてしまった命に。  3号会議室には、見守りに関わった4人が集まった。 「亡くなった日は、二学期が始まる前日。遺書はなし」  事実確認をするケースワーカーの声からは、何の感情もうかがえない。 「高校に入って、初めての夏休みですね。……休み明け前は、不安を訴える子が増えるけれど」 「お母さんは”心当たりがない”と。……地域の人が、同じ顔してたよ」 「ん?どんな顔?」 「盛大に舌打ちする直前」 「……ほかには?」  自覚はなかったけれど、否定もできなくて話の続きを促がす。 「連絡会が締まったあとの雑談だったから、記録に載せなかったんだけど」  それは、「雑」談というにはあまりにも重い話だった。 「お葬式には、お母さんと一番下の妹さんしか出なかったらしいって」 「それは誰から?」 「地域の人」 「情報持ってるねぇ」 「高齢者支援で関わっていた人が、ご近所さんなんだって。家庭菜園のおすそ分けしたときに、お母さんから聞いた話で」  集まった皆が、自分の覚書に書き加えるべく、ペンを取る。 「お姉ちゃんは”あんなヤツの葬式なんか出る気がしない”って、出かけちゃったって。弟さんは、やっぱり部屋から出られなかったて」  学校連絡会では、毎回、誰かしらの名前が挙がるこの家庭の状況は、なかなか良い方向に進まない。 「でね、”また聞きになってしまうのですが”と前置きがあったことを、念頭に聞いてほしいんだけど」  アイコンタクトを取れば、集まったみながうなずく。 「夏休みに、派手なケンカがあったらしいの。あのうち、クーラーがリビングにしかないでしょう?子供部屋の窓が全開だったみたいで、近所中が知ってる話だって」 ※ 「なんでよっ!アンタがやんなさいよっ」  大声と、何かが叩きつけられるような音に驚いて、玄関わきの窓を開ける。 「あー、またあの家か」  思わず独り言が漏れたのは、予想が当たったから。  親子ゲンカや兄弟ゲンカ。  果ては親戚だという若い男が、玄関先で怒鳴り散らすなど、しょっちゅうトラブルがある問題家庭だ。 「だって、今日の夕食当番はおねえちゃんでしょうっ」  少しボリュームを落とした声が反論している。 「うっさいなっ!アンタが高校なんか行くおかげで、アタシの小遣いが減らされてんだよっ。バイトしなきゃいけないの!夕飯なんか作ってられないんだよ!」 「そんなの、あたしだって」 「アンタ高校やめなよっ。どうせ、アタシみたいに短大行く学力もないんだから、働いたほうがましだよっ。落書きばっかしててさ。無能なんだから、家事するの当たり前でしょ!!あー、ほんっとメイワク。アンタなんか生まれなきゃよかったのに」  耳をふさぎたくなるような姉妹ゲンカだ。  でも、あれは母親が口にした言葉なんだろうなと思う。 「ちょっと産み過ぎちゃいましたよねー。四人も子供なんか、いらなかったな。苦労ばっかり」  ゴミステーションでばったり会ったときの愚痴には、開いた口がふさがらなかった。  産んでおいて、なんて言い草だろう。  あの様子じゃ、「おまえなんか産まなきゃよかった」と平気で子供たちに言ってるに違いない。  そうして言われた子供たちが、同じ言葉を姉弟妹(きょうだい)たちにぶつけているのだ。 ※  静まり返った会議室で、空調の音がやけに響いている。 「”この話を聞いて、あの子が消えたいと言っていた意味が分かったような気がします。積極的に死を望むような、重大なトラブルがあったわけじゃない。けれど、その生を親からも姉弟妹(きょうだい)からも否定されたら、家庭は居場所とはならない”」  聞いた話のメモを読み上げれば、さらに空気が沈んでいく。 「……そんなこと言われてたなんて、面談で一言も言わなかったな」 「言えないでしょう」 「……そうだね。そんな信頼関係、なかったからな」  心を預ける大人が、周囲にひとりもいなかった若い命は、傷を訴えることを知らなかった。  命に価値を見出せなくなるようなことを言われている日常が、「おかしなこと」だと気づけなかった。 「妹さんは、どうしてるんですか?」  保健師の一言で我に返る。 「少し長く休んだけれど、今は復学してるって」 「学校の対応は?」 「指導専任の先生が中心になって……」  あの家庭の問題は解決していない。  中学に在学中の子供も、まだふたりいる。    泣くことも、悲しみに暮れることもしてはいけない。  主役は子供たちであり、自分たちは裏方だ。  万が一スポットライトが当たってしまったときは、新聞沙汰になるような、重大事件が起こってしまったとき。  黒衣(くろこ)は隠密行動するのみ。  感情で行動を遅らせてはならないのだ。  
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