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 十九年間の人生の中で最も印象深い出来事は、中学の合唱部で全国大会に進んだことでも、大学受験で第一志望の公立に合格したことでもない。間違いなく、あの朝に食らった五分間だ。  当時高二だった私は、秋限定のクマのマスコットを通学リュックにつけながら朝の情報番組を流し見していた。お天気お姉さんがスタジオの外から「今日は秋らしく冷え込みそうです!」と意気揚々と伝え、CMを挟んだのちに著名人へのインタビューコーナーに切り替わる。人気急上昇中のインフルエンサーに突撃、とポップな字体で画面右上に表示された。  女子アナと一緒に映っていたのは、まつ毛が長くて肌の色素が薄い美人だった。肩まで伸ばした髪は桜に似たピンク色に染まっている。  この人、きれいでかわいい。浮世離れした存在感を持ったインフルエンサーに、私は釘づけになった。 「今日はよろしくお願いします」  発された声の低さに驚いた。よく目を凝らしてみれば、黒いシャツからは出っ張った喉仏と手首の太い関節がのぞいている。コノハと名乗るインフルエンサーは見る人に女性らしい華やかな印象を与えると同時に、自身が持つ男らしさも強みに加えていた。私はテレビの前で正座の姿勢になりながらぼうぜんとしていた。  コノハさんは、アナウンサーからの質問にひとつひとつ丁寧に応じている。 「コノハさんは、SNSで『かわいいものが好き』と公言されていますよね。どうして、かわいいものが好きなんですか?」  一介の視聴者にすぎない私が、アナウンサーの質問に対して慌ててしまう。「かわいい」が好きであることに理由なんていらないだろう。  私はかわいいものが好きだ。私の周りは常に、かわいいで溢れている。  例えば、リュックにつけたばかりのこの焦げ茶のクマ。ハロウィンらしく魔女のトンガリ帽子をかぶり、さらに手には魔法のステッキを持っている。目もとについた星マークは、この子のチャームポイントだ。  ラベンダーの花がデザインされたスマホカバーだってそうだ。これはかわいくもあり、上品でもある。最近のお気に入りアイテムだ。  かわいいとは、私にとって絶対的な価値基準になっている。基準に理由なんていらない。
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