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「俺が憎いか」 男の問い掛けに、私は答える。 「いいえ」 「偽りを申すな、俺は九郎を殺したのだぞ」 「はい。でも、貴方様は本当はそれを望んではいなかったのでしょう?」 私の答えに、男は無言となった。社の中に短い沈黙が満ちる。 「貴方様は九郎様を誰よりも大切に思っておられました。私にはそれが分かります。何故ならーー」 私は顔を上げて男を見据(みす)え、 「私もまた貴方様と同様、九郎様を愛していたからです。心から」 男はやはり黙ったままだった。 「愛する者を最期まで愛せた私が、愛する者をその手に掛けなければならなかった貴方様を責める事など出来ましょうか」 「…愛など、何の役にも立たぬ。愛で世は変えられぬ。そのような幻想に振り回されていては、俺の大望は果たされぬ」 「はい」 「何故だ、俺を憎みもせず、お前が最も大切に想うていた者との愛すら足蹴(あしげ)にされて、何故お前はそのように穏やかでいられる。お前にとって、俺は八つ裂きにしても飽き足らぬ存在の筈だ」 紙燭(しそく)(おぼろ)な灯りしかない、闇に飲み込まれそうな社の中、男の声は僅かな苛立ちを含んだ。 「私にも、分かりません」 それは(いつわ)らざる本心であった。愛した者を(うしな)った哀しみで、既に心が死んでしまったのかもしれない。だが、冷徹なほどの合理主義を持つこの男にとって、その答えは理解の範疇(はんちゅう)を超えたものにしか聞こえなかった。(おもむろ)に帯びていた太刀を外し、私の前に(ほう)った。 「さあ、これで俺は丸腰だ、九郎の(あだ)を討つがよい」 しかし、不思議と私にはこの男の心の(うち)が手に取るように分かった。本心ではない。野望の為に身内すら切り捨てられる者が、私のような白拍子風情(しらびょうしふぜい)にむざむざ殺されなどしない。そもそも私とてそのような気など、毛頭無い。 「たとえ貴方様を討てば九郎様が私のもとに戻って来るとしても、私は貴方様を討とうなどとは思いませぬ」 「九郎はーー、あ(やつ)は俺を裏切ったのだ。だから殺したのだ!」 とうとう男が激昂(げきこう)し、立ち上がって太刀を拾うと、躊躇(ちゅうちょ)なく抜く。 男が太刀を振り下ろす刹那(せつな)ーー、 静香は夢から(うつつ)へと舞い戻った。
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