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東京から遠野までは遠い。 東北新幹線で盛岡駅に到着、そこからは予算の都合もあり、レンタカーでの移動、東北自動車道を南下して花巻を経由、最終目的地遠野市へは東京から優に5時間を超える行程である。 3月の岩手はまだ春遠く、残雪も多い。都会である盛岡ですらそうなのだから、街から少し離れただけで周囲はすぐに銀世界となり、積もるほどの雪を見た事のない学生達は車内で一頻(ひとしき)りはしゃいではいたものの、延々と続く代わり映えのしない田舎の風景にすぐに飽き、長旅の疲れもあって多くが居眠りしていた。 「在村くんは、遠野に行った事あるの?」 隣同士の座席となった在村に、静香は話しかけた。 「子供の頃に一度行った事があるんだけど、あまり覚えてなくて、ほとんど初めてみたいなものかな」 「子供の頃に? それにしちゃ渋い旅行先だね」 「父親が小説家だったんだ。取材のための旅行に、家族が同伴した感じ」 「あー、なるほどね。お父さん小説家なんだ、凄いね!」 「うん、凄いよね」 笑って答える在村の口調からは、自身の父の偉大さを鼻に掛けるような素振りは微塵も感じず、ただ一人の作家への純粋なリスペクトだけが垣間見(かいまみ)えた。 「でも在村くんも文才あるよ、このしおり、馬鹿な私でも少し分かったもん」 「あ、しおり読んでくれたんだ」 「うん、面白かった。全部は理解できてないけど」 「大まかに説明すると民俗学は、その土地土地の習慣とか、伝説、民話、歌謡、祭礼なんかの、人間の営みの中で伝承されてきた現象の歴史的な移り変わりを研究するものなんだ」 「という事はさ、遠野には昔から河童とか天狗とか、山男がいたってことなの?」 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」 「どういう意味?」 在村は両手を挙げて、座りっぱなしで凝り固まった体を気持ち良さそうにぐーっと伸ばした後、続けて、 「昔話に出てくる妖怪ってさ、色んな解釈に使われてるんだ。例えばさ、愚図(ぐず)る子供を(しか)る時に『いい子にしないと山から◯◯が(さら)いに来るぞ』っていう言い方するでしょ」 「うんうん、私も子供の頃に田舎のおばあちゃんに言われた事ある」 「親の言う事をきかないと、怖いものに拐われる、その『怖いもの』に利用するのに、妖怪はお(あつら)え向きだからね、そんな風に言われたら、子供は言う事を聞かざるを得ない」 「ほんとね、人が拐いに来るよりもずっと怖い」
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