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「まあまあ、佐渡先生、遠いところよく来て下さいました」
「先生、待ち草臥れとったぞ」
「旦那さん、女将さん、ご無沙汰してました、お世話になります」
到着した民宿は小さいながらも小綺麗で、和室の広間や板敷きの廊下は塵ひとつなく掃き浄められ、囲炉裏の火が部屋の隅々まで暖めている。
民宿の主と佐渡の世間話を聞いていると、佐渡は以前は毎年この宿に来ていたが、この数年は新型ウイルスの世界的な流行もあって、旅行自体を自粛していた為、来るのは3年ぶりなのだそうだ。普段から佐渡の研究室に入り浸っている在村も緒方も遠野には初めての旅行だというのも納得がゆく。
夕刻に到着した一行を待っていたのは、囲炉裏の周りに配膳された、地元の野菜を使った天ぷらを始めとした、心尽くしの夕食であった。
「このお蕎麦、めっちゃ美味しいんだけど!」
巴は早速地元の名物である遠野蕎麦の美味しさの虜になっている。宮守ワサビという地場産のワサビを使った冷たい蕎麦は、囲炉裏の暖かさの中で喉に心地よい冷たさとワサビの香りの余韻を鼻腔へ運ぶ美味で、観光客からの人気も高い。
「元気な子だねえ、いっぱい食べな」
巴の膳に蕎麦のお代わりを出す割烹着姿の女将と既に仲良くなっている巴に感心しながらも、静香は宿の旦那と酒を酌み交わしている佐渡を眺めていた。
(佐渡先生、笑ってる)
注視しなければ分からない程度ではあるが、学生の前では仏頂面か、口角を引き攣らせた嘲笑のような笑みしか見せない佐渡が、だいぶ酔って赤い顔の民宿の主に肩や背中をバンバン叩かれながら、楽しそうに談笑している。
考えてみれば、佐渡のプライベートな面は全く知らない。自分だけでなく、他の学生達もそうだろう。
(学生には厳しいけど、佐渡先生はただ厳しいだけの人じゃないんだろうな)
新幹線内での会話も考えると、目の前で酒に酔って笑っている佐渡慶一という男は、決して普段の見た目そのままの加虐嗜好者なんかでは無いのだろう、
(むしろ人付き合いに不器用で、本当は可愛らしいところもある人なのかも)
と思えるように感じていた。
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