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天井板の木目が、ムンクの「叫び」の顔のような模様を描いているのを、常夜灯が朧に照らしている。自分が何処にいるのか、一瞬見失う。
(ん…、そうか、ここ遠野だ)
田舎らしい重い綿の布団をはぐって、静香は上半身を起こす。
壁に掛けられた振り子の時計が明け方の4時を指しているが、部屋と廊下を隔てる障子の色は未だ青みを帯びず、外がまだ闇夜である事を静寂で語る。
(喉、渇いた)
隣では咲や巴が微かな寝息を立てている。起こさぬようにそっと布団を抜け出すと、日中に場所を教わっていた台所へと向かう。静まり返った宿の廊下は、古い建物らしく外気をあまり遮断出来ておらず、底冷えが酷い。
(早く水飲んで、お布団に戻らなきゃ)
白い息を吐きながら、静香はコップに注いだ水を一口飲む。
(美味しい)
井戸から汲み上げている天然の地下水は、東京の水道から出る水のようなカルキ臭がなく、本当に美味しい。水を味わって飲むという初めての経験。
(ーーあの人、誰なんだろう)
いつもの、そしてさっきまで見ていた夢にも出てきた、薄暗い社殿の中で自分と会話をしている男。最初のうちは目が覚めると共にほとんど忘れてしまう夢だったが、連日のように同じ夢を見ているうちに、最近は朧気ながら記憶に残るようになってきている。
(今の人、ではないよね)
刀を差している事は思い出せる。だが顔や話の内容は、霧の向こうの事のようにハッキリしない。
(巴が言う様に、やっぱり私、疲れてるのかな)
清冽な山の水がこんなにも美味しいと思えるのも、心身が疲労しているからだとでもいうのだろうか。
(また、眠れなくなるな)
コップをすすいで拭き、食器棚に戻すと、もはやこれ以上眠る事が出来ない事を思いながらも、洗い物で痛いほど冷たくなった手を擦り合わせながら、静香は台所を出て、寝室に戻るべく廊下に出た。庭に面した側はガラス張りで、植わった松の黒い影が、雪景色の中に立ち尽くしている。
ーーふと、
その松の影に重なるように、誰かが立っている事に、静香は気付いた。心臓がきゅっと縮むような恐怖。
(え…、誰?)
心の声が聞こえたかのように、影が動く。静香が悲鳴を上げた。
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