2/3
前へ
/25ページ
次へ
天井板の木目が、ムンクの「叫び」の顔のような模様を描いているのを、常夜灯が(おぼろ)に照らしている。自分が何処にいるのか、一瞬見失う。 (ん…、そうか、ここ遠野だ) 田舎らしい重い綿の布団をはぐって、静香は上半身を起こす。 壁に掛けられた振り子の時計が明け方の4時を指しているが、部屋と廊下を隔てる障子の色は未だ青みを帯びず、外がまだ闇夜である事を静寂で語る。 (喉、渇いた) 隣では咲や巴が(かす)かな寝息を立てている。起こさぬようにそっと布団を抜け出すと、日中に場所を教わっていた台所へと向かう。静まり返った宿の廊下は、古い建物らしく外気をあまり遮断出来ておらず、底冷えが酷い。 (早く水飲んで、お布団に戻らなきゃ) 白い息を吐きながら、静香はコップに注いだ水を一口飲む。 (美味しい) 井戸から汲み上げている天然の地下水は、東京の水道から出る水のようなカルキ臭がなく、本当に美味しい。水を味わって飲むという初めての経験。 (ーーあの人、誰なんだろう) いつもの、そしてさっきまで見ていた夢にも出てきた、薄暗い社殿の中で自分と会話をしている男。最初のうちは目が覚めると共にほとんど忘れてしまう夢だったが、連日のように同じ夢を見ているうちに、最近は朧気(おぼろげ)ながら記憶に残るようになってきている。 (今の人、ではないよね) 刀を差している事は思い出せる。だが顔や話の内容は、霧の向こうの事のようにハッキリしない。 (巴が言う様に、やっぱり私、疲れてるのかな) 清冽(せいれつ)な山の水がこんなにも美味しいと思えるのも、心身が疲労しているからだとでもいうのだろうか。 (また、眠れなくなるな) コップをすすいで拭き、食器棚に戻すと、もはやこれ以上眠る事が出来ない事を思いながらも、洗い物で痛いほど冷たくなった手を擦り合わせながら、静香は台所を出て、寝室に戻るべく廊下に出た。庭に面した側はガラス張りで、植わった松の黒い影が、雪景色の中に立ち尽くしている。 ーーふと、 その松の影に重なるように、誰かが立っている事に、静香は気付いた。心臓がきゅっと縮むような恐怖。 (え…、誰?) 心の声が聞こえたかのように、影が動く。静香が悲鳴を上げた。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加