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そっと開けた襖の向こうは、左右に膳がずらりと並ぶ、畳敷の大きな部屋だった。膳の上には美しい塗りの椀が乗せられている。
ただ、その部屋は無人ではなかった。膳部の一席一席全てに、時代劇で見る武将ような古めかしい着物を来た者達が着いており、静香に向かって一斉に頭を下げた。
「あの…」
そう言いかけた時、
「待っていたぞ、静」
彼らの上座、部屋の奥に座す男。静かでありながらも、聴くものを魅了せずにはおらぬ澄んだ声。
心臓が一つ大きく鼓動すると同時に、静香の中に現れた意識がそれに応える。
「九郎様ーー」
(九郎? 誰?)
誰かの意識に支配された身体が、口を動かし、足を踏み出す。居並ぶ武家装束達の間を進むと、彼らは一層深く頭を下げる。
「静様、こちらへ」
そう言って上座の男の隣の席を勧める巨体の男は、静香が民宿で見た、あの山男であった。
促されるままに、恐る恐る上座の男の隣に座ると、静香はそっと男の顔を盗み見る。女性のように白くきめの細かい肌、切れ長の眼、朱を差したように紅い唇。女の静香から見ても美しく整った顔立ちを持つ、まさに「貴公子」という表現が相応しい佇まい。
「お会いしとうございました」
静香の両目から流れる涙に、静香自身が戸惑う。
(あたしはこの人を知らない、いや、知っているーー何故?)
「祝着至極に存じます」
居並ぶ武人達が、貴公子と静香に向かって、改めて深々と平伏した。
「静よ、今日のこの日を待ちわびていた。永劫とも思える永き時の中で」
(これはーー、婚礼?)
自分と貴公子が座る高砂席、その前に調えられた膳や什器。遠野物語の記述で女が見た光景は、彼らが花嫁の到着を待って設えられた式場であったのだ。
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