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気が付けば、森の奥深くまで来ていた。そもそも何故森になど入ったのかも分からない。ただ、誰かに呼ばれた気がした。わたしは、ここに、いる、と。 「皆本!」 佐渡は大声で静香を呼んだ。幾度(いくど)と繰り返そうと、声は木霊(こだま)となって木々の間を駆け抜け、(むな)しく消えるばかりだった。日光を(さえぎ)られた森は里よりもはるかに雪深く、夜の痛いほど冷たい空気と相まって容赦なく佐渡の体力を奪っていが、それでも歩みを止めることは出来ない。 (俺のせいだ) 焦りと後悔が心を(さいな)む。学問を(おさ)める身として、自分は間違っていたのかも知れない。「単位」などというものは、大学という、いち組織のシステムの一つであり、本来「学ぶ自由」とは関係のないものだ。大学などに所属せずとも、学ぶ機会はどこにでも転がっている。それなのに、 (慢心していた) 自分が学生達に学ぶ機会を「与えてやっているのだ」と。だから単位を餌にフィールドワークに強制的に参加させる事を、さも当然のような麻痺した感覚を何とも思わなくなっていた。その結果が、これだ。 「静香!」 屈託のない静香の笑顔が脳裡(のうり)を占める。彼女に何かあったらと思うと、雪を踏みしめる足が震え、心が(きし)むほどに締め付けられる。 (俺は、静香をーー) 今まで自分でも分からなくなっていたほどに心の扉を何枚も隔てた奥底に閉じ込めた思いが、潰されそうな心から(にじ)み出す。 (ずっと、静香を見ていた。学生として、ではなくーー) 遠のく意識の中、自分自身の(いつわ)らざる思いに気付きながら、動かなくなる脚を折って、佐渡はその場に座り込んだ。 (もう、動けない) どれほど脳が指令しても、四肢がそれに従わない感覚を、佐渡は初めて経験した。雪に慣れた地元の人間すら踏み込まない程の深い森を、雪とは無縁の都会の人間が動き回るのが土台無理なのだ。 (みんな、済まない) 物言わぬ身となった自分が発見されるまでに、何日かかるだろう。今祈るのは、静香は単に土地勘のない小さな村でちょっと迷子になり、民宿に戻ってくるのが遅れただけだという事、全ては自分の早とちりで、今頃は民宿で皆と一緒に笑いながら、女将さんの作る甘酒で冷えた身体を温めている事。 それが叶うなら、自分はどんな目に()おうともーー 「先生、来て。あたしは今ここにーー、マヨイガにいます」 耳元の(ささや)き、間違(まご)うかた無き皆本静香の声に、佐渡は飛び起きた。
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