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「舞ってみせよ」
「…はい」
私は立ち上がり、直垂の皺を伸ばすと、静かに扇を掲げる。
鼓の音、笛の音ーー。
静まり返った朧月夜の社の前に設えられた舞台、響くのはそれら音曲の調べと、篝火の爆ぜる音、そして私の衣擦れの音だけ。
涙は、不思議と流れては来なかった。
(私は、ただ求めに応じて舞う事しか出来ぬ女。たとえ)
ーー求めたのが、大切なあの方を殺めた者であっても。
無心に舞う。神話の昔、天の岩戸の前で舞った天宇受売命は、岩戸の奥に隠れてしまった天照大神を呼び戻す為に踊った。
私は違う。私には、
(誰も呼び戻す事など出来ない)
僅かな鼓の乱れ、笛の掠れ。それが私を無の境地から引き戻す。
(泣いているの?)
奏者の震え。気が付いた。私の前に居並ぶ武人達は、深く嘆息したり、袖で目頭を押さえたりしながら囁いている。
「なんという…」
「これは、天女か…」
「さすが、九郎様の…」
(九郎様ーー)
何が起こったか分からない。その名を聞いた私は突然舞を乱し、扇を取り落とした。音曲が止み、武人達も息を呑んで静まる。
「見事」
僅かな沈黙ののち、短く発したのは、正面の社の階を登った上座に席を占めた、私に舞を命じた男。そうだ、九郎様を、
(ーー殺めた人)
「この者と二人で話がしたい」
男はそう言うと席を立って
「来い」
と命じ、返事も待たずに社の中へと入っていった。
「もっと近くへ寄れ」
男が命じるまま、社に入った私は男のすぐ前に座る。長面の整った顔立ち。だが、その眼だけは、凍てつくように冷たく、そして哀しみに満ちていた。
ーーーー
「おい」
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