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「おい」
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「おい、皆本!」
「ふぇっ、ふぁいっ!?」
目を覚ますと、目の前にあったのは凍てつくように冷たい目のーー、
「あ、あれ? サド先せーー」
「さーわーたーり、だ」
引き攣った口許に薄笑いを浮かべた、民俗学教授の佐渡慶一の顔。
周囲に居並ぶ武人達、ではなく学生達はニヤニヤしたり、笑いを堪えて見て見ぬふりをしている。
「散々講義サボった挙げ句、単位下さいって泣き付いて来ていながら、堂々昼寝か。なかなかいい度胸してんなあ、皆本」
覚醒してくるにつれ、夢の世界から現実に引き戻され、皆本静香は今自分が置かれた状況を理解して青ざめた。
「講義が終わったらちょっと俺の研究室来い」
そう言い放つと、佐渡はさっさと教壇に戻る。
「あーあ、サドの死刑宣告、かわいそ」
隣に座る巴が言葉とは裏腹に意地悪そうな表情でほくそ笑んでいる。「サド」とは、民俗学を受講している学生達が佐渡につけた渾名で、彼が醸す加虐嗜好を揶揄したものだ。誰もが「言い得て妙」と思っており、陰では佐渡を本名の「さわたり」で呼ぶ者は誰もいないほど、その渾名は浸透している。
「講義に戻るぞ」
そう言うと、佐渡は柳田國男の「遠野物語」、「マヨヒガ」の一節を音読する。
『終に玄関より上がりたるに、その次の間には朱と黒との膳椀あまた取出したり。奥の坐敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。されども終に人影は無ければ、もしは山男の家では無いかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり』
「つまり襖を開けて入った次の間には鉄瓶に湯が沸き、朱塗り、黒塗りの膳や什器が整然と並べられていた。まるでこれから何かの宴が始まるかのようにな。だがそれなのに、とうとう住人の姿は最後まで見つけられなかった」
「怖っ」
巴が茶化すように呟く。
「ここまできて初めてこの愚鈍な女も怖くなった。もしかして山人、つまり山に棲む妖怪の家ではないのか、と思った訳だ。女はすぐにその屋敷を出て、家へと逃げ帰った」
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