とある団塊世代の四国遍路日記 第一回区切り打ち       写真;佐喜浜から室戸岬方面を望む

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第八日目 日和佐(ふなつき旅館)~宍喰(民宿ぬしま) 平成19年11月14日(水)晴れ 34km(51,000歩)      注:文中の( )内のkmは、日和佐からの距離を記している。  AM5:00に起床し、空を見上げると今朝も晴れており8日続きの晴天は、二日目に『第九番法輪寺』の前の「うどん梅の屋」で会ったお父さんの験力に違いないと感心している。昨夜、水を抜いた足のマメもたいしたことが無く、歩きの準備を始めている。そして、今日よりは室戸岬まで75kmという途方もなく長い海岸線を歩き続けることになり、行程より今日と明日は札所も無くただひたすら歩くのみである。室戸岬到着の日程から今日と明日で尾崎まで行く必要があり、この62kmを2分することになる。そのため今日は宍喰までの34kmとし、明日は尾崎までの残りの28kmとしている。そこで、それぞれの民宿に、昨夜予約を入れていた。  AM7:00に旅館の女将さんに見送られ、「ふなつき旅館」を出発した。善人宿の写真を撮ろうと探したが道路より見つけることが出来ず、国道55号線に入ってしまった。日和佐トンネルの手前で休憩をしていると長野の青年が追い着き話しを聞くと、会社を退職して四国に来たと言う。これ以上の突っ込んだ話もしなかったが、どんな事情があって退職したにせよ大きな転機であることに変わりは無い。野宿までして遍路をするには、自分とは違う何か深い意思があると思えた。そして、荷物がやけに少なくなっており、どうしたのかと聞くとシラフと着替えのみを残し、他のテントや炊事道具等は全て送り返したと言う。これでは、この先の野宿が大丈夫かと、心配するばかりである。しばらく一緒に歩くがスピードに差があり、やがて引き離される。JR牟岐線に沿う国道55号線は山中を行くことになり、車がバンバンと行き交う日和佐トンネルを排気ガスにもだえながら抜け、JRやまかわち駅の横(5.7km)に着く。ここよりほとんど人家の無い寒葉坂と言う山中を通り、開けた場所に出ると「コインスナック鬼が岩屋」(11.3km)があった。ここで先行していた長野の青年と自転車で逆打ちしている青年に会い、しばらくすると埼玉のIさんもやって来た。再び歩き始め小松大師を過ぎると、やがて牟岐の町に入ることになる。牟岐の手前には山頭火の句碑があり、托鉢をしながら巡拝していた当時の苦労が偲ばれる。     『しぐれてぬれて まっかな柿もろた』 (昭和14年11月3日山頭火日記抄)  牟岐の町中(15.2km)を歩いていると、なぜか呼び止められ、そこにはテントを張った接待所が設けられていた。長野の青年は既に到着し、お菓子やみかんでお茶を飲んでおり、自分も早速お接待に預かることにした。ここはNHKテレビにも取材された牟岐町民による接待所であり、常に数人の方が詰めておられ歩き遍路にとっては誠に有り難い四国の心を見る様である。長野の青年とは、ここを最後にして再び会うことは無かったが、無事に結願まで至ることを願うばかりである。接待所のじい様によると、ここより宍喰までは相当距離を残しており、PM6:00頃の到着になると言う。それではと早々に出発し、3つ4つのトンネルを抜け鯖大師前の食堂(鯖瀬大福食堂19.7km)に飛び込み、冷やしうどんを食べている。まだまだ距離を残しておりそそくさと出発し、JR阿波海南駅(26.1km)前ではPM2:35になっていた。やがてJR牟岐線も海部駅で終わり、阿波海岸鉄道阿佐線に変わる辺りでは、再び海岸線を歩いている。どこまで続くのかと思う那佐湾の奥深い入り江の横を歩き、ここを過ぎた所(30.5km)で、宍喰の町が見え出すがまだ遠い。宍喰の湾をぐるりと廻り込み、町はずれに着いた頃には日もだいぶ傾いている。町中に入ると薄暗くなって気温も下がり、必死に歩いているが肌寒く感じる様になった。「民宿ぬしま」をなかなか見つけられずあせりを感じていたが、山際の町屋の中に看板を見た時には、正直ほっとした気持ちになった。「民宿ぬしま」到着PM5:00(34km)、なにか寂れた民宿であったが対応は暖かかった。宿泊は他に2人の工事人であったがまだ到着しておらず、大きな風呂を自分一人で占領している。そして、足の方はなぜか快調になって来ていた。     【雑感】  この様なお接待が自分に対してもあるのかと思っていたが、実際ここに来て見ると色々な形で呼び止められお菓子や果物等を頂いている。  歩き遍路を弘法大師の化身と見做し、自らの信仰心をこの歩き遍路に託して喜捨をする。これが延々と続いてきた四国における「お接待」と言う美習である。それは食料品であったり、飲料であったり、時によっては金銭になることもある。江戸時代の頃よりは、この四国の美習を頼って社会より見捨てられた人々がここに来て生活をしていたとも言う。  逆に考えると歩き遍路は、四国の人からこの様に見られていることで自分を律する必要がある。『十善戒』と言う戒めや、『無財七施』と言う心構えは、全ての遍路に当てはまるが、特に歩き遍路にとってはこれらを必須と考えねばならない。そして、そのことが、ここに来た自らの思いを遂げる大きな柱になるはずである。 《参考》 『無財七施』とは遍路の心構えを説いた言葉であり、次の七カ目がある。 ①房舎施(ぼうしゃせ):自分の家を一夜の宿に貸す事、空部屋が無くて断ら れた遍路に相部屋を薦める事 ②牀座施(しょうざせ):自分の席を譲る事、進路や順番を譲る事 ③身 施(しんせ)  :身体による奉仕、困っている人を見ると直ぐに手助 けする。 ④和顔施(わがんせ) :いつも笑顔を絶やさない。 ⑤言 施(ごんせ)  :暖かい思いやりのある言葉を掛ける事 ⑥眼 施(がんせ)  :やさしい眼差しを掛ける事 ⑦心 施(しんせ)  :思いやりの心を持つ事
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