とある団塊世代の四国遍路日記 第一回区切り打ち       写真;佐喜浜から室戸岬方面を望む

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第三日目 鴨島~第十一番藤井寺~第十二番焼山寺~神山(民宿あすか) 平成19年11月9日(金)晴れ 26km(42,000歩)             注:文中の( )内のHは、高度を記している。  昨夜、持参したヘヤードライヤーで乾かした下着はまだ湿気を帯びているが、しかたなくリュクサックに詰めている。そして、昨日に購入した巻き寿司を食べ、いざ出発とリュクサックを担ごうとすると、右手の親指より腕に掛けて筋肉が吊ってきた。親指をグルグルと回して筋肉をほぐすが、物を取ろうとすると再び吊ってくる。出発が遅れることを気にしながら、二度三度と繰り返すとなんとか直り、AM6:15に出発した。朝の冷気で気持ちも好く鴨島市内を歩いていると、早朝の散歩の人より挨拶される。約40分で山際にあり、こじんまりとした山寺の趣きがある『第十一番藤井寺』に到着した。この近郊にある民宿に泊まっていた人々が、次々に集まりだし、五番札所前の「民宿森本屋」で同宿していた埼玉のIさんも現れた。自分が参拝をしている間に、集まった人達は昨日のうちに参拝を済ませていたのか、焼山寺に向けての山道を登り始め、結局は一人取り残された。  本堂横の弘法大師像の側に登り口があり、四国八十八箇所巡りの祠が並ぶ暗い山道を登って行く。この祠を過ぎた辺りから急激な坂道になり、いきなり喘ぎ喘ぎの登りとなる。ここを登りきると視界が開ける休憩所(H225m)があり、二日間で歩いてきた第一番から第十番の札所がある山際の町が、吉野川の向こうに一望出来る雄大な景色である。ここで一服と思わず煙草に手が伸びるが、ここまでの登りは小説に例えればほんの序章に過ぎないと、後で思い知らされることになる。更に登りが始まり、この辺りには「ガンバレ」とか『同行二人 南無大師遍照金剛』等の掛札がやけに目に付き、行き倒れと思しき人の供養なのか石仏をよく見かける様になる。今でこそ、食料事情や医療事情が良くなり、四国遍路も気軽(?)なことになっているが、当時は生死を架けた旅路であったことが偲ばれる。これが四国で感じた『第三番目の心』である。まだまだ続く登りを進むと、僅かばかりの尾根に出て石囲いをした小さな清水が湧く水飲み場があった。ペットボトルの水も半分以下になっており、この水を汲み足している。ここから再び急峻な登りがあり、やっとの思いで登りきると、人の声が聞こえ弘法大師を祀る『長戸庵』(H440m)があった。ここでは、十一番札所を先に出発した二組の夫婦や、後から追い付いて来たニュージーランド女性(野宿で回ると言う)に会い、ここまでの登りの厳しさをお互いが慰め合う様に話をしていた。しかし、まだこれから先が本番であると、かつてここを登った経験がある一組の夫婦が話していた。  ここから再度の登りが続くが、長い休憩を取ったことで何とか持ちこたえている。『柳水庵』まで残り1.8kmの標識のあるところ(H540m)で、やっとなだらかな尾根道になるが、この道が突然急激な下りに変わると杉木立の向こうに『柳水庵』の小屋が見えて来た。50m程の高度差を一気に下り膝もガクガクするが、下り切ったところに水飲み場があった。弘法大師が柳の枝で加持して湧かせたと言う『柳の水』は、実にまろやかでペットボトルをこの水に入れ替え満杯にした。『柳水庵』(H500m)は、この小屋(奥の院)のすぐ横にあった。ニュージーランド女性と二組の夫婦とは、ここでも再会するが先に出発したニュージーランド女性には、もう追いつくことは無かった。二組の夫婦とは相前後して先に進むことになり、しばらくはなだらかな登りが続いたが、これが再び急激な登りに変わる。まさに足が前に出なくなるほどの登りであり、天にも届くのかと思わせる急峻である。何度となく小休止を取りながら鬱蒼とした山道を登りきると階段が現れ、この上には大きな杉に守られる様な形で弘法大師像が建てられていた。ここが『浄蓮庵(一本杉庵とも言われる)』(H745m)であり、樹周7.62m、樹高約30mの『左右内の一本杉』がそびえている。  そして、ここから急激な下りが始まり、二組の夫婦を残して先行している。高度差345mを1.6kmで下ることになり、転げ落ちる様な坂道である。何箇所かは、特に急激な下りがあり転びそうになったが、結局はなんでもない坂道で転倒している。ひどく腰を打ちつけたが幸いにもたいしたこともなく、下りきってしまえば人家の裏庭の様なところに出た。まさかこんなところが遍路道と思う様な場所であるが、考えてみると遍路道の側に後から家を建てたと理解した方が良いと思える。この様なところが何箇所も出てくることにもなる。左右内川を渡り(H400m)、これからが『焼山寺』への登りとなるが、昼食のパンを食べていると一組の夫婦(岡山の人で、一度焼山寺に登ろうとしたが雨の日で足を痛めて中断したと言う)に追いつかれ「折角、山を登ったのに下り切ってしまった」と愚痴をこぼしながら先に行かれた。ここで落ち着いていてはどうしようもなく、自分も最後の登りに掛かるが、ここもきつい。やけに「ガンバレ」の標識が目に付くが足が言うことを聞かない。20mも行くと小休止を取らざるを得ない様な急峻を、何度もこれを繰り返し登ると、急に車道に出ることになる。そこには自動車が軽快に登って行くのを見ると、何か馬鹿にされた様な思いになる。遍路とは歩くことに見つけたり。これが四国で感じた『第四番目の心』である。この車道を越えると参道が始まり、一山回り込んだところに山門があった。修験道の開祖役行者が開基したと伝えられるだけのことはあり、四国最難関の遍路ころがしで藤井寺よりほぼ6時間を要して『第十二番焼山寺』(H700m)にたどり着いた。この先には、奥の院(H938m)があるが体力的に行く気力も無く、また今日の民宿まではまだ10kmを残していることもあり、二組の夫婦と後から追いついて来た長野の青年に手を振りながら先を急いでいる。  ここよりの下りはまたきつく、*衛門三郎終焉の地とされる『杖杉庵』までは、足の大腿部が張ってくる痛さに悩まされ、休憩の都度足が吊ってしまう。ここを過ぎてしばらく行くと遍路道は車道となり、神山までの長い距離が待っていた。何度、山をまいたのか、ようやく鮎喰川の本流に架かる橋を渡る頃に、神山温泉に泊まると言う足を引きずった男性を追い越したが、この先の距離を考えるとこの男性は何時に着くのかと心配でもあった。地図では、この橋より3km程で民宿に着くはずであったが、実際歩いて見ると更に1km程余分に掛かった様である。「民宿あすか」への入り口道路で民宿より電話があり、「いつ着くのか」との問い合わせがあったが、この時には民宿の看板が見えていた。民宿到着は、PM4:30であり、今日は10時間歩き続けた一日であった。すぐ前に神山温泉の施設があり、民宿で入場券を貰い入浴するがタイルの上では足裏が痛くて叫びだしそうになっている。泉質はアルカリ性と思え、直ぐに肌がヌルリとするが湯上りにはさっぱりとした気持ちの好い温泉であった。湯上りに体重を量ってみると、59.1kgと出発時より3kg近く落ちており、歩き遍路とはいかにきついものかと思わざるを得なかった。そして、ここで買った缶ビールは、言葉で言い表せない美味さである。恒例の洗濯を行い、今朝の湿った下着も合わせて乾燥機で乾かし、この後は最大の楽しみである夕食のビールとなる。よくぞ今日が晴れであったと感謝しながら、自分一人の泊りになっており、何の気兼ねも無くぐっすりと眠ることが出来た。 【雑感】  遍路転がしと呼ばれる登り道には、多くの石仏が祀られている。その全てが行き倒れとなった人々の供養では無いと思うが、戦前まで続いたと伝わる社会より見捨てられた人々の四国遍路は、地元の人々によって支えられていた。遍路を弘法大師と見なしてお接待をすることで、それらの人々が生き長らえることが出来たと言う。言い替えれば死ぬまで生きることが出来るのだが、この様な人々にとっての四国は、まさに死国であり死出の旅路でもあった。ただ、全ての人々がこの様な境遇では無く、遍路途中の思わぬ事故や病気等により倒れた人もあったと思われる。これらの石仏の一つ一つに遍路の苦しみや、また往生をした安らぎの様なものを偲ぶことが出来る。今も四国遍路は擬死再生への道であり、死出のいで立ちとなる白衣を着て歩くことになる。そこで、遍路における様々な体験を通し、生きることへの力や自信を取り戻すことになるのであろう。 *衛門三郎  伊予の国浮穴郡荏原の荘の長者であった衛門三郎は、雪模様の寒い日に乞食の様な旅の僧が現れた時に、「乞食にやる物は無い」と言い放ち、旅の僧が持つ鉄鉢を叩き付けたところ八つの花弁の如く飛び散った。この翌日より八日の間に、八人の子供が次々と亡くなり、自らの悪行の報いかと身に迫る思いをした。時に、空海上人と申される方が四国八十八カ所の霊場を開かれることを聞き、あの旅の僧こそ、この上人と思われ上人を訪ねて霊場を巡る旅に出た。  行けども廻れども上人の姿は無く、遂に巡ること二十度となったが会えず、二十一度目は逆の道を取り『第十二番焼山寺』を下った所にある杖杉庵まで来ると動くことも出来無くなった。息絶える間際に弘法大師が現れると許しを請い、もし生まれ変わることが出来るなら河野氏の子になりたいと願い出た。大師は、小石を三郎の左手に握らせ亡骸を埋めて、その杖を墓標とした。  その後、道後湯築城主河野息利に子が生まれ、左手が開かないのを安養寺住職に見てもらうと、小石が出て来て、これ以来この寺は『石手寺(第五十一番)』と呼ばれる様になり、石は寺宝として伝わっている。
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