とある団塊世代の四国遍路日記 第一回区切り打ち       写真;佐喜浜から室戸岬方面を望む

7/16

3人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ
第五日目 徳島市~第十八番恩山寺~第十九番立江寺~生名(民宿金子や) 平成19年11月11日(日)晴れ 24km(38,000歩)  ここまで歩き続けて来て足の状態も見てから、今日のコースに番外札所の『星の岩屋』を入れるかどうかを考えていた。しかし、ここに行くには5kmの距離と200mの高度差があり、無理なことはしないとの判断で諦めることにした。オリエントBHの出発も遅らしてAM8:30として気楽に出たが、やはりそうは問屋が卸さないのが四国遍路である。  歩き始めると右膝がコツコツと痛み出し、これをカバーするために金剛杖を右手に持ち続けると、右手にもマメが出来始め痛みが走る様になった。更に、この日は強風注意報が発令されており、おまけに向かい風である。国道55号線の勝浦川の橋を渡る辺りでは、菅笠を飛ばされそうになり、橋を渡りきった所の病院前で休憩をしている。金剛杖を鉄柵に立て、煙草を吸っていると強風に煽られた金剛杖が高さ5mはある溝に落ちてしまった。幸いにも病院の脇より溝に降りる道があり、金剛杖を拾えたが油断は大敵である。国道55号線を更に進むと徳島市の郊外になり、大型店が何軒か見られる所で薬ショップを見つけた。湿布薬と傷バンは、それなりの量を持って来ていたが、これ程使うとは思いもよらず、これらと塗布薬も合わせて購入した。  小松島警察署を過ぎると番外札所の『弘法大師お杖の水』があり、交通整理の警備員に丁寧に教えて貰い、なおかつ写真まで撮ってもらった。やはり四国の優しさがこもっていると、改めて感じたことでもある。ここからは国道55号線を離れ、十八番札所への道を進むことになる。この辺りは、昔、源義経が屋島の平家軍を攻める時に通った道であり、義経道路の看板や掲示物が目立つ。北陸の各地では平泉に落ち行く義経の足跡が残っているが、ここでは旭日時の義経が偲ばれる。そして、しばしの坂(この程度では、驚かなくなっている)を登る途中で、ミニバンが側に止まり老人よりパンとお茶の接待を受け、これを持って更に登って行くと『恩山寺』の駐車場になっていた。昼時になっており、このパンを食べていると、何処からか犬が近寄って来たので切れ端をやると喜んで走り去った。結局、今日の昼食は、これだけであった。閑静なたたずまいの『恩山寺』は、ここより坂を少し登ったところにあり、修行大師の大きな像が印象的であった。  山を下り義経が敵を警戒して弓の弦を巻いた坂と張った坂を通り、県道136号線を3km程歩くと『お京塚』があった。その言い伝えからすると、かなりな規模の祠を想像していたが、何かうら寂しいものであった。  『第十九番立江寺』には、しばらくすると到着した。この寺は阿波の関所寺であったことから、広い境内には多くの伽藍や更に大きな修行大師像が建てられていた。  ここから主要地方道28号線の長い登り坂を越すと、主要地方道22号線とのT字路に着き、これを右折して進むと勝浦川に出合うことになる。ここでへたり込んで休憩していると団体遍路がバスで通り掛り、おば様より手を振り掛けられたので、自分も振り返していた。ここからは勝浦川の上流を目指して主要地方道16号線を歩き続けるが、どうしても午後になるとペースが落ち、空腹のところに水ばかりを飲んでいる。道は狭くなるものの車の量は多い道路の端を歩いていると、日曜日に何か行事があったのか小学生(生比奈小学校)の下校の列に会い、口々に挨拶をされるので自分も元気を取り戻して答えている。そして、分岐路を左の道に進んで行くと、民宿としては大きな建物の「金子や」があった。到着PM4:15、例の通り洗濯と入浴を済ませ夕食になるが、今日は新たな人ばかりで会話が無い。むしろ夕食後の女将さんの話が面白く、荷物を全ておいて出て行った人の話や妻以外の女性と泊まりに来て同郷の団体と鉢合わせになった話等。この民宿の歴史は古く、1800年頃より宿泊者があったとの記述が古文書にある様だ。なにせ鶴林寺への登り口の生名では、ここ一軒のみである。明日は、第二、第三の遍路ころがしが待っており、疲れもピークに来ていることもあって、今日も直ぐに寝入っている。 【雑感】  歩き遍路の難敵は、足のマメである。始めての遍路では、ここまでの歩きをするのは人生の中で経験しておらず、ほとんど全ての人が多かれ少なかれ足にマメを作っている。これの被害を少しでも小さくするのは、一つ目は靴の選び方にあり普段より2つ程サイズの大きい物を選ぶことである。それは足指の圧迫を避けるためで、更に言うとこの靴で事前によく歩くことである。二つ目は、靴のクッション性であり、中敷の使用や靴下を2枚にすると足に負担が少なくなる。三つ目は、足指のテーピングや五本指靴下の使用であり、指同士の摩擦を防ぐことである。それでも日々30km前後を歩くとマメは出来、水を抜く針や消毒剤、そしてこれを被う傷バンやテープは必需品となる。ただ、これらは一週間もすると固まってくるものであり、この前後より湿布薬や塗布薬等の筋肉痛を治める薬が必要になる。山中を歩く場合を除き、街々では薬屋があり適時に補充するのが可能で、当面の必要分を持参して後は自分の足の状態を見て購入して行くのが得策と考える。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加