とある団塊世代の四国遍路日記 第一回区切り打ち       写真;佐喜浜から室戸岬方面を望む

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第七日目 民宿山茶花~第二十三番薬王寺:日和佐(ふなつき旅館) 平成19年11月13日(火)晴れ 21km(34,000歩)  四国に来て初めて泊まりの予約をした昨夜、今日は距離を少くな目の21kmとして、宿は『第二十三番薬王寺』の前にある「ふなつき旅館」である。  民宿山茶花出発はAM7:40であり、同宿の5人は既に出発している。朝より日射しのきつい日であったが、難所を越し気分を好くして歩き始めた。新野の町並みを抜けると田園の中を進む車道であり、『月夜御水庵』の峠を越えると高い壁の様に見える国道55号線に突き当たる。山道を廻り込み、この国道に上がると車の量が急に多くなり、道路脇の歩道を歩いて釘打トンネルを潜ると遍路小屋があった。ここで4日目の朝、神山で会った野宿遍路の一人に遭遇し、しばらく一緒に歩くことになった。大阪の人で飲食業を経営していたが、赤字が出始めたため権利を売って四国に来ている。人生の再出発のために、何が出来るのかを考えるための遍路だと言う。歩き遍路でしかも野宿で廻ろうとする人は、何か人生における転機や深い煩悶を携えて歩いているものと、改めて感じさせられる。自分の様に定年後の人生の見直しなどは、なにか軽すぎる動機の様に思えて仕方が無かった。  国道55号線は『弥谷観音』への分岐路を過ぎてしばらく行くと、この国道を進み距離の短い山越えで行くか、また地方主要道路25号線に入り海側の道にするかの分岐点に着く。そこで、海を見たい意思が一致したのか野宿遍路の人と共に海側の道に入る。海を見る前の行く手には由岐坂峠と言う登りがあり、車なら何と言うことも無い坂道であろうが、歩き遍路にとってはたやすいものでは無い。暑いほどの日射しの下、ペットボトルの水も底を突き、どうするかと考えていたところ峠への登り道で自動販売機を見付け、これも天運と思え新たなペットボトルを購入した。この峠を越え長い坂道を下り、最後の急坂を過ぎるとJR由岐駅の横に着く。ここで休憩を取ると野宿遍路の人は先に進み、そのスピードにはとても追い着けるものでは無い。さすがに今年も3度アルプスを縦走した山男の足である。近くの工事現場で働く青年に励まされつつ、ここを出発すると間もなく田井ノ浜に出る。四国に来て初めて海を見るが、その透明度には圧倒される。しかし、あてにしていたこの浜での民宿の食事は、おそらく夏の海水浴客のためにあると思え全て閉店しており、ありつく事は出来なかった。仕方なく穏やかな海岸線を横に見つつ木岐の町に入ると小さな小売店を見付け、早速助六寿司を購入して漁港のはずれで一人食べている。木陰になっている道ばたの縁石に座っていると、さわやかな風が頬を撫で、人生における安堵感の様なものにしたっていた。これもつかの間であり、再び歩き出すとそこには山座峠と言う登りが待ち受けていた。あの焼山寺を越してきた者にとっては、ここらの峠では何と言うものではないはずであるが、やはり地図で峠と記されていれば馬鹿にするものではない。峠への登り口で後ろを振り返ると田井ノ浜の入り江が、はるか遠くまでかすんで見え、よく歩いて来たものだと感心している。山座峠の道は車がやっと一台通れるぐらいの狭い道であるが、ダラダラとした長い登りが延々と続いている。その峠を越えた辺りに古い遍路道の標識があり、車道を短絡する急な下りに入る。またまた膝に負担を掛けるが、歩き遍路にすれば1mでも短い道を歩きたいものである。再び車道に合流し海岸線を歩き続けると、『えびす洞』のある岬より日和佐の街並みが見渡せる様になる。これで元気付けられ更に進むと白い建物が見え、これが「ホテル白い燈台」であった。一度は泊まりたくなるようなホテルであり、次の車遍路では家内にも紹介したいとホテルの前でへたり込んでいると、従業員より怪訝そうな顔をされた。気を取り直して日和佐の街に入ると山頂に日和佐城が見え、そして瑜祇塔がそびえる『第二十三番薬王寺』が目に飛び込んで来た。  今宵の宿となる「ふなつき旅館」の前を通り壮大な薬王寺山門の前に立つ。33段の女厄坂、42段の男厄坂と続く急な階段には、なぜか一円玉が沢山転がっていた。お金を避けながら階段を登りきると本堂があり、その横の大師堂と参拝を済ませて振り向くと、日和佐の街が一望出来た。山門に戻ると野宿遍路の二人と長野の青年に巡り会い、お互いの健脚を話し合ったが、由岐で先に行った大阪の人は既に温泉にも入ってきたと言い、まったくどんな足をしているのかと驚くばかりである。彼らはこれからドライブイン橋本が設けている『善人宿』に泊まると言い、ここは無料で食事も提供する有名な接待所である。彼らと別れ自分は「ふなつき旅館」に入り入浴するが、両足の小指には大きな水泡が出来ていた。それにしても朝夕の食事はよく食べる様になり神山で59.1kgまで減った体重も61kg台まで回復している。この旅館より見る薬王寺の瑜祇塔はすばらしく、ライトアップされた姿は黄金色に輝いていた。 【雑感】  現代の遍路において、昔に通じる最もふさわしい遍路修行が「野宿の歩き遍路」であろう。それは、日々の生活を自らが背負うことになり、一夜のすみかを当ても無く探し求めつつ札所を巡ることなる。それは、この地への執着が一層に沸くものと考えられ、このことが、この地で感じるものも深くなるはずである。また野宿の生活を通して人との触れ合いも、より親密になると思われる。ここで会った野宿遍路の人々には、何か強い意志や重い動機に支えられ、人生における再生や復帰につなげる意図の深さを感じられた。
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