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サラダ
玄関の扉を閉め、びしょ濡れになったコートを脱ごうとして気がついた。部屋が片付けられている。玄関にあった彼女の靴や傘だけでなく、溜まっていたゴミもなくなっている。台所の洗い物も、リビングに放置していた食器や書類も片付けられていた。至るところに点在していた、黄色い生物は姿を消していたが、たった一つ、ダイニングテーブルの上に置かれた一枚の便箋の隅っこにそれを認めた。
『お仕事おつかれさま。勝手におじゃましました。もしもなにか私のものが残ってたら捨てちゃってください。あと、ご飯は冷ぞうこに入れておいたので、よかったら食べてください。
私ね、実家に帰ることにしたよ。最後に少し話せたら、なんて期待して待ってみたけど、そううまくはいかないよね。時間だから行かなきゃ。ひろくん、今までありがとう。一緒にすごせて楽しかったよ。幸せになってね。 舞』
冷蔵庫を確認すると、小鍋に味噌汁、もう一つに牛丼、そしてラップで無理矢理蓋をされた山盛りのサラダを見つけた。中身は水菜にレタスにトマトだけだが、いつも一人分がやけに多かった。特に葉物は適量がわからないのだと言っていた姿を思い出す。ラップを外すときに葉がいくらか落ちてしまった。彼女が好きだった焼肉屋のドレッシングをかけていただく。野菜を切っただけの、なんの変哲もないサラダ。水気を十分にきれていないままだから食感は今ひとつで、全体的に大きく切るから、いちいち大きく口を開かねばならない。僕をベジタリアンか、草食動物かとでも思っているかのような量。特に素材にこだわっているわけでもない近所のスーパーの品で、安売りの痛み始めたものを用いることもしばしばあった。いつも同じだと飽きるからと、トマトがミニトマトに変わっていたこともあった。回想を抱きながら、むしゃむしゃと馬のようにありつく。味噌汁は何度言っても沸騰させてしまうし、牛肉は塊のまま火にかけるから出来上がってもそのままだ。本当に馬鹿で、間抜けで、不器用で。
お腹は既に膨れていたし、特段美味しいわけでもないのに、箸は止まらなかった。
そしてそれ以上に、涙が止まらなかった。
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