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降りつもる
視界を覆うほどの雪の中を、僕は必死に進んだ。雪に足を取られそうになりながら、ただ夢中で走った。
彼女が帰省するときは決まって一日一本しかない夜行バスを使う。腕時計を確認すると、十時十九分。彼女が発つまであと十ニ分。走れば間に合う距離だった。家を出る前から何度も電話を掛けているが、一向に応答はなかった。
吸い込む空気が冷たくて肺に刺さるようだった。靴はとっくに浸食され、感覚が遠のいていく。だが、そんなことに構っている暇はない。
もっと早くに気づくべきだった。彼女はあの部屋で僕を待っていたというのに。いや、今日だけではない、ずっと彼女はそこにいて、僕のことを待ってくれていたのだ。失って、独りを知って、ようやく大切なものに気付くようなこんなにも愚かな僕を、ずっとずっと彼女は待っていてくれていたのだ。馬鹿なのも、見る目がないのも、支えられていたのも、全て僕のほうだった。
駅が見えた。あと信号を三つ越えれば駅だ。十時二十三分。幸運にも青信号が続く。
不安はあった。もしかしたら彼女はあのロータリーにはいないかもしれない。既に別の手段で街を出ているのかもしれない。それでも僕は走るしかなかった。
どうか、どうか…。
それは、二つ目の信号を渡っている時だった。鈍い衝撃が僕の右半身を襲うと同時に、身体が一瞬浮いて、左方向へ二回、三回と、いや四回転だったろうか、ともかく勢い良く転がった。何が起きたのかわからなかったが、小学校の頃、肥満体型のクラスメイトに突き飛ばされた感覚を一瞬思い出した。
「す、すみません!大丈夫ですか!?」
「あ、あぁ?大丈夫。大丈夫です」
車?いや、話しかけてきた男性はヘルメットをしているからバイクだろう。僕は轢かれたらしい。信号を見誤ったのだろうか、それともドライバーの視界が雪で奪われていたのだろうか。いずれにせよ今はそれどころではない。受け身は取れたようで、痛みはさほどではなかった。すぐに立ち上がり、その場を去る。
「先を急ぐので、失礼します」
「え、いや、ちょっと!!」
僕を呼ぶ声を無視して、すぐに走り出した。腕時計を見ると、ヒビが入っていた。時刻は十時二十六分。白で覆われたその先に、ロータリーに停まるバスが見えた。あそこに彼女がいるはずだ。
今度は僕の左側が何かにぶつかった。洋服屋のショーウィンドーだった。真っ直ぐに走っていたはずなのにおかしい。身体を正中位に戻そうとするが、右へ身体は動かず、ウィンドウにもたれながらずるずると進む。いつの間にか、下半身の感覚がほとんどないことに気がついた。脚が自分のものではなくなったように、前へ動かなくなった。脚を何度も叩いて感覚を呼び戻そうしたが、身体を支えていることさえ出来ず、その場にしゃがみ込んでしまった。バスの姿が霞んだ。
目と鼻の先に彼女がいるはずなのだ。こんなところで、こんな情けない終わり方など絶対に…。
雪の上を這いつくばって進む。ロータリーを囲む柵に手をかけ、無理矢理体を立ち上がらせる。柵に凭れながら、バスの停留所を目指す。
「舞…ごめん、俺やっとさ…。俺、お前がいないと…舞…」
白くぼやけていく世界の中、バスの黄色いハザードランプがチカチカと点滅を繰り返していた。
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