毛布

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「お疲れ様ー。竹田君いつも助かるよ」 「いえ、これくらい全然。部長の負担に比べたら」  上司の谷中に愛想よく振る舞い、整理し終えた会議資料の束を手渡す。 「うちの部が他から嫉妬の目で見られているのを知ってるかい?すべて君のおかげだよ。ごたごたが落ち着いたら1杯と言わず、奢らせておくれ。来週のプレゼン楽しみにしているよ」 「恐れ入ります。ありがとうございます」  会社を出ると、街はすでにしんとしていて、どこかの居酒屋から漏れてくる音痴で上擦った声だけが耳に届いた。いつものくせでスマートフォンを取り出したが、連絡があったのはチェーン店の広告や、近所のラーメン屋、寒波の接近を知らせるニュースだけで、連絡をしなければならない相手はいなかった。白田舞の名前は下方にスクロールしたそこにあり、連絡は三日前が最後になっている。 『荷物は来週取りに行くね。ひろくんが仕事行ってる間にささっとやるから気にしないで大丈夫だからね。鍵はポストに入れておきます』  文面が変わっているはずはないのだが、またそのメッセージに目を通し、スマートフォンをポケットにしまった。彼女と別れてから一週間がたった。それは急に訪れた悲劇ではなく、毛玉だらけになったセーターを捨てるような、躊躇いの必要もないものだった。私生活の余計なしがらみが断たれ、むしろ仕事が捗るようになった。先程仕上げた企画が通れば、いや、通ると確信しているその企画で僕はまた評価をもらい、この春には昇格が濃厚になる。僕から離れるなんてあの女はやはり見る目がないのだ。あれほど支えてやったのに。    帰宅したアパートには、額にどんぐりマークの黄色いアザラシ、ドンシーちゃんがキッチンやティッシュカバー、ボールペンなどいたるところに点在している。片付けをろくにしないまま彼女が部屋を出ていったせいで、何もかもがそのままだ。 『このどんぐりのおでこと私のおでこをむぎゅーってするのが好きなの。そしたらね、潤んだ瞳で見つめ返してくるんだよ。えへへってなっちゃうの。体の色もさ、プリンみたいで甘い匂いがしてきそうでにやにやってしちゃうの。ひろくんにもこの良さがいずれわかると思うよー』  幾度となく繰り返された彼女のプレゼンが僕に刺さることは一度もなかった。この部屋に残る彼女の抜け殻との生活もあと数日の辛抱。食事も入浴も億劫で、ソファに倒れ込む。一人の空間は誰にも邪魔されない。    夜中、体が冷えて目が覚めてしまった。気づかないうちに毛布が掛けられていることはもうないのだった。
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