3「クズな元カレを、ずたずたにしてやりたい」

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3「クズな元カレを、ずたずたにしてやりたい」

 あたしが絵を描けなくなって引きこもっている間に、元カレの健太(けんた)は皆に勝手な話をしたらしい。 『翠(みどり)はいま、調子が悪くてね。俺が付いているから、いずれ描けるよ』 『カノジョ? ちがうちがう。ただの、創作仲間だよ。まあ、翠のほうは、俺をメチャクチャ好きみたいだけどね』   みんな、信じた。健太はこぎれいな男で、性格がいいヤツに見えたから。  あたしは恋愛に依存して絵が描けなくなったおかしいオンナ、と認識された。逆に健太のイメージは爆上がり。絵もうまくなって、描いたものをSNSに投稿するとイイネがつくようになった。  健太は新しいカノジョを作った。  だけどもう、あたしは何もかもどうでもよくなっていた。外に出ることもなくて、ただ部屋で使わなくなった画材とすごしていた。  とにかく自分が引き起こしたことだから、ひとりで引っかぶればいいと、思っていた。  今朝までは。  雪がぬるんだ音を立てて車にはね飛ばされる音を聞くまでは、そう思っていたんだ。  あの時、気がついた。  あたしは、勝手に不幸になりたがっていたんだって。  健太に利用されたことも、健太に勝手なことを言わせておいたことも。全部、あたしが決めたことだった。  だからこそ。自分の決断で、何もかもひっくり返すことができる。  一月の歩道をゆく北風に、コートの裾がはためく。あたしはポケットのなかでパレットナイフを握りしめた。  目の前のギャラリーの窓は大きくて、ブラインドが半分ひらいていた。薄く曇ったガラスの向こうに学生がいて、絵をかけたり位置を変えたりしているのが見えた。  そのなかに、健太がいた。絵をもって笑っていた。白梅の枝とウグイスを描いたもの。構図に見おぼえがある。以前、あたしが個人指導の課題で描いた小品とそっくりだ。  どろっと、黒いものがあたしの中に湧き上がる。心に降り積もった真黒なものが、地吹雪となって舞い上がった。  握っているパレットナイフの柄が、冷たい。  こいつをあの絵に突き立てたら、どんなに気持ちがいいだろう。画面を切り裂いたところからは、きっとどす黒いものが出てくる。  健太のずるさ、浅はかさ、薄汚なさがあふれ出して、みんな、あいつがどれほどのろくでなしなのか、初めて知るんだろう。  あたしは薄笑いを浮かべて、ギャラリーに上がる階段に足をかけた。  そのとき。  背後から、甲高い声がした。 「翠ちゃん、なにしてるの?」  振り返ると、水色の帽子をかぶり、ランドセルを背負った姪の澄(すみ)がいた。  澄は三つ編みにした頭をかしげて、ギャラリーの中を見た。 「絵だね。翠ちゃんの絵もあるの?」  あたしの背筋が、ぞわりとした。  澄を、この子供を、巻き込んじゃいけない。でもあたしはどうやっても、あのクズな元カレをずたずたにしてやりたい。  あたしはポケットの中で、ぐいっとパレットナイフを握りしめた。
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