雪の女王と満月の日

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「朱音、今日はもう上がって良いよ。後少ししたら聡くんが来るだろうし、来たら帰りにくくなるだろ?」 ここ半年程この店の常連になっている夏目聡の事を、靖彦は実のところ気に入っている。 彼は程々に砕けていて、意外と純朴で、何より朱音に夢中だ。 最初は朱音目当ての他の客同様、冷たくあしらわれればすぐに来なくなるかと思っていた。 しかし彼はいくら冷たくされてもめげない。 もしかして特殊な趣味かストーカー体質かと訝った時期もあるが、その様子もなく、むしろ朱音に何かしようという(やから)が現れた時にはかばう素振りまで見せた。 惜しむらくはあっという間に殴られ、かばうはずの彼女に助けられたという不名誉な事実が残った事だけれど。 「くだらない。あの人が来たから私が帰りにくいということはありませんが、帰って良いと言うなら帰らせてもらいます」 本音と言葉は違う……朱音が聡を意識しているのは解っている。 彼女が家族以外に多少なりとも感情の片鱗を見せたのは、彼が初めてだから。 どれだけ冷たく接しても諦めずに近づいてくれる事、力及ばずとも助けになろうとしてくれる事、それはきっと彼女が幼い頃から求めていた物。 家族以外でそれをくれる存在に初めて出会ったのだ、意識しない訳がない。 よくよく見れば耳がほんの少し赤くなっていて、靖彦は微笑んだ。 「はいはい、お疲れ様。気を付けて帰るんだよ」 上着を羽織った朱音は薄ら笑顔の叔父を生ゴミでも見るような目で一瞥し、お先に失礼しますと言い残して出て行った。 本当に、素直じゃない。 聡は可愛らしいタイプの顔立ちだが、二十歳という年齢相応の男らしさも見られる。 あまり荒事は得意では無さそうだがそう貧弱な体付きではないし、身長だって低くはない。 何より、難しい朱音の事を理解しようとしてくれる。 「恋をするには充分な相手だと思うんだよな」  コンソメスープの中にひと欠片残った玉葱を口にしてから呟くと、食器を片付けて店内を見回した。 今日は婦人会の集まりとやらで、開店直後に入店した10人程の御婦人が2時頃まで居続けた。 そのため遅くなった昼食を済ませて、もう少しで3時になる。 もうそろそろ常連の老人達が来る筈だ。 朱音の不在をがたがた騒ぐに違いないが、今日ばかりは仕方ない。 今夜はなのだから――――  
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