それぞれの春・東堂夕陽

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「夕陽さん……こんにちは。もうすっかり桜も終わりましたね」 朱音が夕陽に怯えなくなるまでひと月程掛かったが、聡の地道な努力によりどうにか半径80センチまで近付くようにはなった。 その様子に夕陽は警戒心の強い猫か何かを思い浮かべてしまうけれど。 開花の早かった今年の桜は4月直前の大雨で散り、花弁も春の強風に攫われた。 人間達は短い花見シーズンの終了を惜しみ、人工吸血鬼達は厄介な季節の終了に歓喜している。 「ようやく不審者卒業だよ。マスクにサングラスと帽子姿じゃ仕方ないけど、連日の職務質問はキツいよね。ところで随分遅いけど、これから仕事?」 「いえ、お使いを頼まれた帰りです。あ……これ、また消炭(けしずみ)さんに渡していただけますか?」 彼女が差し出した小さな紙袋の中身は目薬だ。 「良いよ。マキさんとはこの後の現場で会うから」 マキとは夕陽が高校の頃からの所謂(いわゆる)セフレで、預言者のような事ばかり言う芸術家だ。 しかしその女が魔女の家系だと知ったのはつい最近、それも妙な巡り合せからだった。 「けし……マキさん、魔女を廃業するって本当なんですか?」 「うん。絵描きの方が性に合ってるって。元々あんまり仕事自体受けてなかったらしいし。それにこれ以上続けると余計に目に負担がかかるんだってさ」 黒の系列の魔女であった彼女は一族の穢れを目に受けていたようで、失明の危機に怯えていた。 絵を(たしな)む者にとって視力は命にも等しい……珊瑚が処方した魔法薬は非常に有効で、それがマキに魔女を廃業する決意をさせた。 視力の維持どころか、回復すら望めるのであれば無理もない。 そもそも彼女は魔女としての仕事を好きではないのだから余計だ。
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